2006年03月28日更新
麻生グループは1872年に創業者の麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手したことにその端を発す。内閣総理大臣の候補に挙がる麻生太郎外務大臣は麻生グループの御曹司だ。戦前の麻生は筑豊有数の炭鉱主として、石炭のほか、銀行、電力、鉄道、病院、セメント事業など幅広く事業展開した。
戦後は石炭資源の枯渇によりセメントへ主力を移した。現在のグループ傘下企業は約80社に上り、医療分野や教育分野で存在感を高めている。しかし伝家の宝刀である鉱業、そしてセメント事業を見捨てる気はなさそうだ。
麻生ラファージュセメント田川工場は田川市西部にある船尾鉱山の山元工場。田川工場は1934年に九州産業セメント工場として操業を開始した。以来、今日まで麻生グループのセメント事業の主力拠点。
船尾鉱山は生産量226.8万トン(1999)。採取品目は石灰石。従業員は直轄51名、請負0名(2000)。生産規模は三菱マテリアル東谷鉱山の約1/5程度。田川工場は年産200万トンだから船尾鉱山だけでは心もとない。麻生は鉱山権を取得した関の山鉱山や、そのほか近隣の鉱山からも石灰石を調達する。
田川工場は1955年にフライアッシュセメントを製造開始、1978年に高炉セメントを製造開始して、現在の生産体制の基礎ができた。内陸にある田川工場の悩みは調達原燃料のコスト高だ。古くはボタを原料代替として活用した。現在は臨海工場の苅田工場と物流連携してコスト削減に努めつつ、産業廃棄物のリサイクルや廃熱発電の有効活用に取り組む。
麻生は2001年にラファージュの資本参加を受け入れ、生産子会社は麻生セメントから麻生ラファージュセメントへと社名を変えた。ラファージュは世界最大の建材業者で、セメントに関しては世界第1位。世界各国に117セメント工場と28粉砕工場を有す。
コスト削減の切り札がラファージュの経営ノウハウだったわけだ。会社は役員14名のうち7名をラファージュから受け入れ、ラファージュ方式の吸収に努めている。
セメント工場が内陸の山元に立地したのは、かつては資源調達を優先したからだ。現在では無尽蔵に採掘できる石灰石よりも原燃料のコストのほうが高くなり、山元工場は臨海工場に対する競争力を失っている。
麻生が内陸立地の不利を跳ね返そうと努力する中で、田川では2004年に香春鉱山の山元工場・香春太平洋セメントと、関の山鉱山の山元工場・三井鉱山セメント田川工場が相次いでリストラされた。麻生ラファージュセメントは太平洋セメントに対しては生産を受託し、隣接地の三井鉱山セメントに対しては商権、鉱山権、工場を一式買収した。
麻生ラファージュセメント田川工場は田川最初のセメント工場にして最後の砦として、今日も稼動している。
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Lafarge Asô Cement Tagawa Plant and Hunao Quarry