2009年12月17日更新
JR船尾駅前に聳えるサスペンションプレヒーター 2003年9月
JR船尾駅の乗り場から見た船尾鉱山 2005年7月
麻生ラファージュセメント田川工場は、麻生グループのセメント事業会社が経営する田川市西部にある船尾鉱山の山元工場。1934年に九州産業セメント工場として操業を開始した。2001年にフランスのラファージュが資本参加し、田川工場は田川最初のセメント工場にして、最後の砦として今日も稼動している。
石灰の主な調達先となる船尾鉱山は日鉄鉱業(本社、東京都)が所有する生産量226.8万トン(1999)の石灰石鉱山。従業員は直轄51名、請負0名(2000)。生産規模は地域最大となる三菱マテリアル東谷鉱山の約1/5程度だ。田川工場は船尾鉱山ほか、隣接する関の山鉱山や、そのほか近隣の鉱山からも石灰石を調達する。
麻生グループは1872年に創業者の麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し、石炭産業に着手したことにその端を発す。内閣総理大臣の麻生太郎は麻生グループの御曹司。戦前の麻生財閥は筑豊有数の炭鉱主として、石炭のほか、銀行、電力、鉄道、病院、セメント事業などに幅広く事業展開した。
戦後は筑豊炭田の閉山により石炭からセメントへ主力を移した。現在のグループ傘下企業は約80社に上り、医療分野や教育分野で存在感を高めている。しかし伝家の宝刀である鉱業、その中核をなすセメント事業を見捨てる気はなさそうだ。
田川工場は1955年にフライアッシュセメントを製造開始、1978年に高炉セメントを製造開始した。内陸にある田川工場は調達原燃料のコスト高に悩む。古くはボタを原料代替として活用した。現在は臨海部の苅田工場と物流連携してコスト削減に努めつつ、産業廃棄物のリサイクルや廃熱発電の有効活用に取り組む。
セメント工場が内陸の山元に立地したのは、かつては資源調達を優先したからだ。現在では無尽蔵に採掘できる石灰石よりも原燃料のコストのほうが高くなり、山元工場は臨海工場に対する競争力を失っている。
麻生が内陸立地の不利を跳ね返そうと奮闘する中、田川では2004年に香春鉱山の山元工場・香春太平洋セメントと、関の山鉱山の山元工場・三井鉱山セメント田川工場が相次いで閉鎖された。麻生は太平洋セメントに対しては生産を受託し、隣接地の三井鉱山セメントに対しては商権・鉱山権・工場の一式を買収した。
コスト削減の切り札はラファージュの経営ノウハウと目される。ラファージュは世界最大の建材業者で、世界各国に117セメント工場と28粉砕工場を有す。セメントに関しては世界第1位。会社は役員14名のうち7名をラファージュから受け入れ、ラファージュ方式の吸収に努めている。
2006年3月28日作成、2008年11月1日更新
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Lafarge Aso Cement Tagawa Plant and Hunao Quarry