2009年1月15日更新
三菱マテリアル九州工場は、日本最大の生産規模を誇るセメント工場。普通ポルトランドセメント、高炉フライアッシュセメント、セメント系固化材などを生産する。苅田港本港地区の北岸に立地し、石灰石は東谷鉱山から延長12.3kmのベルトコンベアで直輸送する。東谷鉱山は平尾台西壁にある北九州最大の石灰石鉱山。
工場は苅田出身の実業家・小畑秀吉が佐賀資本を誘致し、1918年に豊国セメント苅田工場として操業開始した。塩業の村だった苅田は、これを契機に工業化への道を歩み始めた。工業都市・苅田の祖であり、騒音や振動、粉塵などの悩ましい公害問題を抱えつつも町民に愛されている。
1961年、隣接する海面を埋め立てて新工場の建設に着手、1979年までに出荷岸壁にキルン(焼成炉)を5基増設した。1973年に三菱鉱業、三菱セメント、豊国セメントが合併して三菱鉱業セメントと改称、この年に平苅ベルトコンベアが完成した。1990年、三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し、三菱マテリアルに改称した。
三菱マテリアルは北九州地区でのセメント生産を苅田に集約する動きを強めている。1999年に旧三菱セメント系で日本初の乾式焼成法を採用した東谷工場を統合、2000年に旧三菱セメント系で特殊セメント製造の黒崎工場を統合した。苅田工場は九州工場と改称された。2002年、東谷工場は鉱山部門を除いて廃止された。
北九州工業地帯には国内有数のカルスト台地である平尾台が存在し、豊富な石灰石資源を有す。石灰石は石炭と異なり、露天掘りで無尽蔵に採掘できることから資源が枯渇する恐れはない。しかし、製品であるセメントは1987年に構造不況業種として産業構造転換円滑化臨時措置法の適用指定を受けた。
1991年にバブル景気による建設需要の増大などを受けて同法の指定が解除され、休止したキルンが再稼働するなど息を吹き返した時期があった。2000年以降は公共事業の削減を受けて操業効率のよくない内陸部の山元工場が相次いで清算された。選択と集中により利益を得たのが苅田臨海部だった。
苅田臨海部には三菱マテリアル九州工場、宇部興産苅田セメント工場、麻生ラファージュセメント苅田工場の3工場が立地する。セメント各社の主力工場が勢ぞろいするのは、国内有数の巨大鉱山とベルトコンベアで直結して山元工場並みの資源調達コストを実現できる上、臨海部の物流効率も兼ね備えているからだ。
三菱マテリアル九州工場の心臓部は直径6m×長さ90m前後のロータリーキルン5基。他の工場では1~2基のキルンが5基横並びに並ぶさまは圧巻だ。夜の照明に浮かび上がるサスペンションプレヒーター(塔部)は、対岸まで伝わるキルンの熱気と振動と轟音を象徴するように聳え立っている。工業都市住民の琴線に触れる格好のよさだ。
2006年3月26日作成、2009年1月15日更新
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Mitsubishi Materials Kyûsyû Plant