2005年11月05日更新
本社・田川工場
専用鉄道停車場付近
関の山鉱山の施設
三井鉱山セメント田川工場は、田川市西部にある関の山鉱山の山元工場。旧三井田川炭鉱の離職者対策として、1963年に三井セメントとして操業を開始した。
1976年に三井鉱山の本体が吸収合併し、1999年に再び分離・子会社化した。最盛期の1979年度には約219万トンを生産したが、2002年度は約150万トン。内陸立地と生産規模の不経済が嫌われ、2004年に産業再生機構が会社を清算した。
三井鉱山セメントの商権、鉱山権、工場は隣接地に鉱山と工場を構える麻生ラファージュセメントへ有償で譲渡された。麻生ラファージュセメントは三井鉱山セメントの工場と鉄道を廃止し、関の山鉱山は規模を大幅に縮小した上で存続を図った。公共事業が低迷する中で工場と鉄道を維持するのは困難だが、資源と鉱山権は押さえておいて損はない。
関の山鉱山の採取品目は石灰石。従業員は直轄20名、請負89名(2000)。生産量355.3万トン(1999)。麻生ラファージュセメントの船尾鉱山よりやや規模の大きな鉱山だった。
田川市の対策本部によれば、三井鉱山セメントに直接雇用された115名は全員解雇された。田川地区の経済損失は330億円。工場閉鎖に伴って、関連企業20社の323名をはじめ、取引先など約3000名の新たな失業者の発生が懸念された。
また、貨物専用線が廃止されたことから、これと連絡する平成筑豊鉄道の貨物部門が消失した。年間5400万円の損失になるという。平成筑豊鉄道は収益の大黒柱を失って経営危機に瀕している。産業再生機構は企業を再生するかもしれないが、地域経済を破たんさせることにはためらいがない。
麻生ラファージュセメントは三井鉱山セメントの関連施設を撤去し、更地に戻した上で活用法を探るとしてきたが、なんと2005年10月末に本当に動きがった。報道によれば、麻生ラファージュセメントは田川市の中村産業に工場敷地と運動場、専用鉄道停車場などを売却したという。中村産業は生産施設を撤去し、敷地約18万㎡に美術館やレストランを建設する。
辺鄙な山間で石灰まみれ、場所によっては騒音と振動もあるとくれば、廃棄物処分場あるいは資材置き場に使うくらいしか跡地の利用法はないとわたしは踏んでいた。しかし中村産業に言わせれば「田川の栄枯盛衰を物語るモニュメントのような場所」なのだそうだ。なるほど言われてみればそのとおり。わたしの思い込みは状況を正しく判断していなかった。
中村産業は2006年度中の新施設開業を目指す。詳しい内容は分からないが、開業の暁には詳しく紹介したい。
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Mitsui Mining Cement Tagawa Plant (Closed) & Sekinoyama Quarry