2010年10月6日更新
日産自動車九州工場ゲストホール
日産自動車九州工場正門
衛星写真
日産自動車九州工場は、同社最大の車両組立能力を誇る主力工場。日産全体の乗用車生産に占める割合は約3割。生産した自動車の約6割が北米中心に輸出される。小型トラックのみの生産だった黎明期はエンジンから車両組立までの一貫工場だったが、現在は基幹部品を横浜工場から取り寄せ、車両組立に特化している。
九州工場はトヨタ自動車九州のような生産子会社化による権限の拡大や、開発部門の設置などを本社に要望してきたが、本社にその気がなく、長らく手足の扱いを受けてきた。2011年に念願の分社化が実現するが、その目的は本社より安い賃金体系を構築することにあり、第一印象は非常によくない。
日産は北九州の戸畑鋳物(戸畑駅前にあった日立金属)から自動車部を切り離して会社を設立した経緯がある。1933年設立の自動車製造株式会社(翌年に「日産自動車」と改称)の創業者は戸畑鋳物社長の鮎川義介だった。九州工場は1973年に建設が決定した。鮎川ゆかりの日立金属九州工場が戸畑駅前から苅田臨海部へ移転したのも1973年だ。現在、両者は泊地を挟んで向かい合う。
1970年代の北九州は重厚長大産業の斜陽が決定的になり、加工産業へ転換する必要性に迫られていた。地元は日産の里帰りに熱を入れたが、当時の北九州は加工産業の集積が弱く、日産にとって北九州進出は一種の冒険だった。もっとも、九州工場の立ち上げで培ったノウハウは後に海外工場を建設する際に役立った。
九州工場は1975年にエンジンの生産を開始し、翌年に小型トラックの生産を開始して本格操業へ移った。1982年に転機があり、乗用車の生産を開始して、エンジンの生産は止めた。1992年に第二工場「夢工場」が完成。2000年に専用外航埠頭の苅田日産インターナショナルワーフを開設。以降は生産した車両を工場敷地内から輸出できるようになった。自動車組立工場はなぜか内陸にあることが多いが、輸出産業にとって臨海工場の物流効率は魅力的なはずだ。
2000年代に入ると、ダイハツ九州本社工場、トヨタ自動車九州苅田工場、同小倉工場が操業を開始して、周防灘沿岸が自動車産業で賑やかになった。日産にも動きがあり、2009年に九州工場敷地内に日産車体九州本社工場が出現した。日産車体が苅田進出を決めたのはリーマン・ショック前の円安バブルを謳歌した時期であり、その後の外部環境激変を受けて工場の立ち上げは遅れ気味だ。
2010年現在、九州工場の生産車種は、ティアナ、ラフェスタ、エクストレイル、デュアリス、ムラーノ、セントラ/サニー/アルメーラ(輸出専用)、ローグ(輸出専用)の7車種。従業員数約3600人は、製造業派遣原則禁止を受けて最盛期より1000人ほど少ない。生産台数は年産約43万台。生産の海外シフトを受けて最盛期より10万台ほど少ない。
なお、日産車体九州本社工場の生産車種は、パトロール、エルグランド、クエスト、インフィニティQX56の4車種(予定)。従業員は1000人(開始時)。生産能力は約12万台。初年度は5万台(予定)。
日産自動車九州工場は北九州工業地帯で最大の雇用と生産高を誇る。新日鐵八幡が地域に君臨した時代は遠くへ退き、周防灘沿岸が洞海湾地域に代わって北九州工業地帯の主力地域にのし上がった。苅田町の製造品出荷額は北九州市に匹敵する規模にまで拡大している。
2006年4月4日作成、2010年10月6日更新
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