ガゾーン関門都市圏

2009年8月19日更新

トヨタ自動車九州

業種分類
輸送用機械 - 自動車組立
操業等
1992年操業開始、生産能力年産43万台、従業員数約4200人(請負含む 6400名)、敷地面積113万㎡。
場所
宮若市上有木1

衛星写真

あらまし

トヨタ自動車九州は、トヨタ自動車(本社、愛知県豊田市)が100%出資する自動車製造子会社。1991年設立。資本金450億円。車両組立の宮田工場、エンジン製造の苅田工場、部品製造の小倉工場を擁し、本社を宮田工場の敷地内に置く。

宮田工場はトヨタが愛知県外に設けた初めての国内工場だ。現在もトヨタの最新鋭工場であり、高級車レクサスの車種を中心に年産約43万台を製造する。トヨタ全体の乗用車生産に占める割合は約1割。生産した自動車は約9割が北米中心に輸出される。

この項目ではもっぱら宮田工場について述べる。

筑豊進出

宮田工場が立地する旧宮田町(宮若市)は、1884年に石炭採掘が開始されて以来、約100年にわたり産炭地として栄えた。最盛期の1955年の人口は5万1795人を数え、町としては全国2番目の規模を誇った。しかしその後のエネルギー革命には抗しきれず、炭鉱はすべて閉山、石炭の時代は終わった。

北九州工業地帯における自動車産業の開拓者は日産自動車だが、実はトヨタもほぼ同じ時期に北九州工業地帯への進出を企てた。トヨタ進出の意向を受けて地域整備事業団が宮田工業団地の造成に着工したのは1973年。しかし第一次石油ショックの影響により乗用車販売台数が激減し、この話はいったん流れた。

当時の筑豊は炭鉱離職者が数多く存在した。トヨタは愛知県内に集中立地することで生産効率を高めてきたが、自動車工場は流れ作業の重労働であり、仕事なら他にいくらでもある愛知県内では労働力の確保が難しかった。筑豊は炭鉱離職者に加えて、旧産炭地振興の優遇措置も魅力的だった。

トヨタが1990年代の筑豊進出で期待したのも、やはり労働力だった。炭鉱離職者は高齢化してもはや労働力にならなかったが、九州は求人倍率が低いにもかかわらず地元志向が強い。愛知県まで出稼ぎに来てくれなくても、同じ九州島内なら人が集まる見込みがあった。

旧宮田町は内陸立地を生かしたIC産業などの企業誘致にも成功し、筑豊の優等生だ。筑豊の外れに位置するが、九州自動車道 若宮インターがあり、これを中心に工業団地を造成して、交通利便性の高さを訴える戦略が功を奏した。現在、筑豊で新しい産業集積が存在するのは旧宮田町だけだ。

旧宮田町は北九州市と高速道路で直結して、陸の孤島ではないのが田川や飯塚との違いだった。北九州市は北九州工業地帯の中心都市であり、素材メーカーや設備メーカーが一堂に集まる。トヨタの現地調達率は高くないが、日産自動車が育てた素地はあり、ゼロからの出発ではなかった。

宮田工場

トヨタ自動車九州 宮田工場は1992年に操業を開始した。当時の生産能力は年産23万台。12年後の2004年に累計生産台数が200万台に達した。1990年代の宮田工場は愛知県内の主力工場のバックアップという印象が否めなかったが、2006年にレクサス用の新ラインが増設され、レクサス生産工場という重要な役割が与えられた。

2000年代前半のトヨタは世界的な販売急伸を受け、国内外の工場はどこもフル操業を続けた。愛知県内の主力工場は増産を受け入れる余地がどこにもなかったが、経営陣は2005年に従来海外向けだったレクサスを国内にも投入することを決めた。これが比較的余裕のあったトヨタ自動車九州に虎の子・レクサスを割り当てた理由だろう。

なんにせよ、トヨタは決断を下してからの行動が素早い。外様だったトヨタ自動車九州はこれを契機にレクサス工場にふさわしく仕立て直された。宮田工場は2006年の新ライン増設により年産能力が年産43万台へ引き上げられた。同年に苅田工場を新設して、宮田工場向けのレクサス用エンジンの現地生産を始めた。

生産台数が拡大したことから下請けの進出も相次いだ。トヨタ紡績、トヨタ鉄工ほか多数が宮若市や北九州市周辺に進出した。2006年をトヨタ自動車九州は「第二の創業」と呼ぶ。その後、2008年にハイブリッド車用トランスアクスルを生産する小倉工場を新設して、一連の設備投資に一区切りがついた。

2008年11月現在の生産車種は、ハリアー(輸出名、レクサスRX350)、ハリアーハイブリッド(輸出名、レクサスRX400h)、ハイランダー、ハイランダーハイブリッド、レクサスIS、レクサスES。

物流の見直し

第二の創業に先立って物流の見直しも図られた。博多港の物流拠点が閉鎖され、関門港(北九州港)新門司埠頭へ全面移転した。2004年に新設した新門司自動車物流センターは年間約50万台を取り扱う。2005年には博多港に残した自動車部品の陸揚げ機能なども新門司へ移転した。

博多港は内国移出には向かない港だ。関門海峡を通過するのに時間がかかるし、大型船舶も通せない。時間に厳しいトヨタが非効率を押して博多港を拠点としたこと自体が「ありえない選択」だった。しかし進出を世話した福岡県や福岡財界に対して義理立てする必要があり、当時はやむをえなかった。

物流拠点の変更は福岡市の強い反発を招いたため、年間2万台の中国向け輸出拠点を設けることで問題の解決を図った。

2006年3月29日作成、2008年11月2日更新

資料

参照記事(外部サイト)
トヨタ自動車九州公式ホムペ
北九州地区の自動車製品と部品の物流 (PDF) - 北九州市立大学
関連項目(ガゾーン内)
トヨタ自動車九州 苅田工場 - 2005年操業開始。レクサス用エンジン工場。
日産自動車九州工場 - 日産最大の車両組立能力を誇る主力工場。
ダイハツ九州 大分中津工場 - 前橋市から全面移転した生産子会社。
新門司埠頭 - 西日本最大のフェリーターミナルや自動車物流センター。

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