2008年10月27日更新
下関港国際ターミナル 2005年2月
関門港の旅客航路は下関港が外航、新門司港が内航という棲み分けになる。国際間の定期貨客航路を3航路も擁すのは日本では下関港だけだ。
現在の下関港国際ターミナルは1988年に細江埠頭18号岸壁に開設した。2006年1月に焼失したJR下関駅よりも威風堂堂として、こちらこそが下関の表玄関と呼ぶにふさわしい。1階は玄関、出国乗用車入口、荷捌場。2階は待合室、発券所、売店、喫茶店、出国乗用車待機場。3階は事務所。
2002年のワールドカップに合わせて空中回廊(総延長208m、幅2.8m、高さ6.6m)を建設し、下関駅前人工地盤と接続した。これに伴い、2階にも玄関を設けた。
下関港の国際旅客航路は1905年に開設した関釜連絡船を起源とする。
1910年の日韓併合により国内路線になり、日本と朝鮮、後に満州やヨーロッパ(シベリア鉄道経由)をもつなぐ重要路線となった。しかし、太平洋戦争での戦局悪化に伴い日本が朝鮮海峡を実質支配できなくなり、その後20年以上にわたってこの区間の交通は基本的に途絶えた。
1965年に日本国と大韓民国が基本関係に関する条約を制定して日韓関係が正常化すると、以前の関釜連絡船を復活させようという機運が高まり、1970年に25年ぶりに両市が海路で結ばれることになった(ウィキペディア)。
釜山航路は日韓の2社が受け持つ。日本側は関釜フェリー。 日本船籍のはまゆう(全長162m、国際総トン数1万6187トン、旅客定員438人)を投入する。韓国側は釜関フェリー。韓国船籍の星希(全長162m、国際総トン数1万6665トン、旅客定員562人)を投入する。
運航は毎日1往復。下関、釜山ともに19~20時に出港して、船内で一泊、翌日の8時半に入港する夜行便だ。二つの船が入れ替わり行き来し、同じ港に2隻が同時に係留されることはない。
釜山航路はポッタリチャンサ(日韓の日用品貿易を手がける商人。主に年配の女性)のご用達として知られる。下関の長門市場周辺で電気製品などを仕入れて釜山へ渡り、品物を仲買人に渡したのちは韓国の農産物などを仕込んで下関へ持ち帰る。関釜フェリーはそんなポッタリチャンサが毎便100名程度も乗り込み、航路の安定維持を図ってきた。
青島航路はSHKグループの西日本汽船が1980年の下関市・青島市友好都市締結を契機に開設した。以来、不定期貨客航路として運航してきたが、日中の通商が発展した1997年に至り、山口県、下関市、青島市の三者の支援を受けて合弁会社・オリエントフェリーを設立、ゆうとぴあ(全長184.50m、国際総トン数2万6906トン、旅客定員350人)を投入して航路を定期化した。
2005年に上海航路を新設するのに伴い、下関上海フェリーが貨物取扱量の増加が続く青島航路にゆうとぴあ2(全長184.50m、国際総トン数2万6933トン、旅客定員475人)を投入した。下関―上海の航路は往復に4日を要し、週2往復はできない。そこで、船舶の有効活用を図るため、往復3日半の青島航路へ目を向けた。
運航は週3往復。下関発は水、金、土の13時に下関を出港し、翌日の16時に青島へ入港する。青島発は木、土、月の20時に青島を出港し、翌翌日の9時に下関へ入港する。旅客フェリーといっても、積載するのはもっぱら貨物だ。
西日本汽船と同社が所属するSHKグループ、中国側の出資元の三者は、2005年に日中合弁会社・上海下関フェリーを設立した。投入船舶は新日本海フェリー所有の「ニューしらゆり」を改装したゆうとぴあ2。下関―上海を週に1往復するだけでは船の稼働率が低いため、上記したように青島へも週に1往復させる。
ゆうとぴあ2は貨客船として投入したが、中国交通省が「旅客の市場規模は小さく、同社の参入でいたずらに競争を招きたくない」と旅客輸送免許を与えず、就航以来一度も旅客を乗せることなく、丸1年間も客室に空気を積んで貨物船として運航した。
1年後、中国当局は旅客輸送免許を与えるどころか、大型荷役に不便な岸壁を割り当てて追い出しにかかってきた。そこで、2006年9月より寄港地を揚子江南岸の蘇州・太倉港へ変更した。太倉港は上海市に近い位置にある新港だ。
運航は週1往復。往路は月曜の13時に下関を出港し、火曜の17時に蘇州に入港する。復路は水曜の3時に蘇州を出港し、木曜の9時に下関へ入港する。待望の旅客の取り扱いは2007年8月末から始まった。
2007年9月1日作成
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Simonoseki (Shimonoseki) Port International Terminal