2006年03月28日更新
ヒガキ門司給油所は、出光興産販売店のヒガキが経営する給油取扱所(ガソリンスタンド)。同社は北九州一円で出光興産のガソリンスタンドを多店舗展開する。
門司給油所は門司港の栄町交差点に面し、関門国道トンネルを抜けて九州入りし、九州道または東九州軸へ向かう自動車が左折の目印にした建物だった。物流車両が24時間行き交う好立地とはいえ、40数年前に建設したせせこましい門司給油所はもう時代についてゆけなくなった。
門司給油所は2006年10月に閉鎖され、半年後の2007年4月に解体撤去された。跡地は南隣の九州電力門司営業所跡地とまとめられ、食品スーパーのハローデイが門司港店を出店した。
出光興産は宗像出身の創業者・出光佐三が1911年に門司で出光商会を設立したことにより起こる。日本石油(現在の新日本石油)の特約店として出発した出光商会は、まず潤滑油(機械油)の販売を手がけて炭鉱や工場への販路を開拓、門司を拠点に九州全土、大阪、名古屋、さらに中国大陸へと販路を拡大した。
出光佐三は1932年に門司商工会議所会頭に就任、1937年には貴族院議員(多額納税)となった。東京移転については言及が見当たらないが、「創業者ゆかりの地」などの言葉から察するに、1940年に会社組織として再出発した出光興産株式会社は北九州ではなく東京で設立されたようだ。
門司給油所はもともとは出光興産直営の施設で、1階にガソリンスタンドを設け、上層には北部九州・山口を統括する大営業所が入居した。最盛期は数百名の社員が出入りしたが、この営業所はいつしか閉鎖され、1階のガソリンスタンドは販売店に払い下げられて、出光は門司の地を去った。
ガゾリンスタンドと言えば映画の活劇物ではよく引火して大爆発する。実際は安全性が高く、阪神・淡路大震災のときは焼け野原にガソリンスタンドだけが燃えず残った。ガソリンスタンドが安全なのは、消防法でうるさく注文をつけられ、耐火性と耐震性が強化されているからだ。
建物1階に給油取扱所を設置するには通常の建築物ではありえないほど構造を強化する必要があり、かかる費用に見合わない。地価の高い東京都内ではちらほら見かけるが、北九州市内でこの建築形態は二度と出現する見込みがない。出光興産の拠点だったことも考え合わせると、「次の時代の文化遺産」と言うべき希少な建造物だった。
門司港レトロ事業に一役買おうと福岡から移ってきた出光美術館(門司)は現在、門司港レトロの大正期の倉庫を改築して入居している。この倉庫は門司港レトロの一等地にあるだけで、正直言ってなんの変哲もない。以前の美術館分館は1964年竣工で1階がガソリンスタンドの建物にあったという。ならば、この門司給油所に美術館が入居するのがふさわしかった。
どこでボタンを掛け違ってしまったのか。門司に出光美術館の分館はできたが、門司で出光が企業活動を行った痕跡は消え去る。希少なランドマークを失うわれわれにとっても、創業の地を想う出光にとっても、あまりに不幸なことではないか。
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