2005年06月05日更新
写真提供 生霊
北九州市立美術館は、北九州市の中央部の丘陵地に広がる中央公園の小山の頂に立地する美術品の展示施設。西日本における公立美術館の先駆けとして1974年に設立された。
1970年代は北九州市発足に伴う新市建設計画が始動した時期に当たる。市庁舎の位置や主要公共施設の配置をめぐる激しい綱引きに決着がつき、西日本の中枢都市建設という目標に向かって動き始めた。
この10年で北九州市庁舎(1972)、北九州市立総合体育館(1973)、北九州市立美術館(1974)、北九州市立中央図書館(1975)、西日本総合展示場(1977)などが相次いで竣工した。どの施設も全国の耳目を集めた大建築であり、枕詞は「西日本を代表する」だった。
北九州市の芸術文化のハコモノを委ねられたのが大分県出身の磯崎新だ。北九州市は市長も商工会議所会頭も大分県出身という時期があったくらいに、大分県と経済・文化・人的交流が深い。磯崎は地元出身の有名建築家という扱いだった。
北九州市立美術館は小山の頂上にある。芸術の殿堂をパルテノンよろしく丘の上に建造しようという発想は利便性や利用性が重要視される現在では流行らないが、当時の北九州市は新市の象徴を切実に欲したし、時代も合理主義だ機能主義だといいながら、強大なもの、壮大なものを歓迎した。
美術館は「丘の上の双眼鏡」「舞い降りた宇宙戦艦」などと形容される。大型の土木基礎を思わせるコンクリートの塊の上に、表裏に突き出した金属的な四角い筒を二本並べる。設計の基本はこの時代の主流をなした豪快で男性的な幾何学形状。
磯崎らしいのは、表裏・左右の対称性を追求して図形性を徹底的に強調し、ヨーロッパ的な「永遠に変わらないもの」の理想を追い求めたことだろう。これを有為転変して倦むことのない自然の上に展開し、人智の卓越性の証とした。当時は自然といえば、共生ではなく征服の対象だった。
建物自体が丘の上にあることも相まって、来客はこの建物を仰ぎ見なければならない。実際は翌年竣工の北九州市立中央図書館より小さな建物なのに、その何倍も大きく見える。造形と立地の相乗効果による威圧感は相当なものだ。磯崎はありふれた自然の小山を人間礼賛の場に変容させたのである。
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Kitakyûsyû Municipal Museum of Art