2005年06月20日更新
北九州国際会議場は、北九州市の国際コンベンションゾーンの中核施設。表はタコマ通りに面し、裏は砂津埠頭(砂津西部岸壁)に面す。かつてはこの岸壁から松山、釜山・蔚山行きの旅客船などが発着したが、現在は岸壁の移転や航路の廃止により定期船舶は接岸しない。
建物は北側部分に4ヶ国語同時通訳装置を備えた大ホール(585名収容)とイベントホールが入り、岸壁側のL字部分や高層部分は国際会議室(1室)や中小会議室(36名~108名収容、6室)が入る。高層部の4階以上は貸事務所で、地球環境戦略研究機関北九州事務所などがある。
北九州国際会議場は磯崎新が北九州市内で手がけた最後の大型建築だ。北九州では数少ないバブル景気の悪乗り建築として知られる。虚心に眺めれば積み木遊びのような無邪気さを感ずる。わたしも幼い頃は積み木遊びの経験がある。この高層部分のように斜めに立方体を乗せて崩れ落ちなければ手を叩いて喜んだろう。
この建物の不恰好は北九州市そのものだ。磯崎はなにをやりたかったのだろうか。この作品はいわば草稿(スケッチ)で、整理も推敲もなされていない。主題が明確に定まらないまま放恣な手法を用いたから、とりとめのない形になった。饒舌なのに大雑把。この二つの対立は見る者に心的葛藤を生じさせ、非常な嫌悪感を与える。
会議場の道路向かいには磯崎が13年前に設計した西日本総合展示場(1977)がある。磯崎はその展示場玄関部分のアールを会議場大ホール部分のファサードに移植して、建物のアイデンティティの同一化を試みた。その上で、技術の集大成だった展示場に対して、感性の集大成ともいえる会議場をぶつけた。
北九州国際会議場が竣工した1990年はバブル景気の絶頂期あたる。建築に対する見方も13年前とは天地逆転の大変動があった。磯崎は自らの過去の作品と接して、過去と決別する必要性を感じながら、試行錯誤したのではないか。しかしそれは成功したとは言いがたい。
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