2009年5月6日更新
小倉駅北口の玄関部分
タコマ通りから 上空の通路で連結する右手の建物はポステ
ラフォーレ原宿・小倉(小倉興産21号館)は、1993年から2007年までの14年間営業した若年層向けの衣料品を中心に扱う大型物販店舗。運営会社は森ビル流通システム(本社、東京都)の子会社だが、ラフォーレ原宿(原宿、松山、新潟)とは別会社だった。建物は小倉興産がラフォーレ誘致のために建設し、原宿・小倉は小倉興産の関係会社でもあった。
小倉興産は2005年2月にアパマンショップ(本社、東京都)に買収された。アパマンは小倉興産を買収するや否や石油事業を売却し、従業員を大量解雇して、目当ての不動産を取り上げて2006年7月に会社を消滅させた。原宿・小倉もアパマン主導で2007年1月に閉鎖された。同社は2007年8月に小倉北口のKMMビル群を売却するなど、換金売りを加速させている。
「小倉北口では商売が成り立たない」。これが地元小売業者の通説だった。三方を海に囲まれた閉鎖地区に人を呼ぶのが難しいのは、小倉北口に限らず横浜でも東京でも同じだ。したがって、小倉興産が小倉北口開発の目玉としてラフォーレ原宿の誘致を決めたときは、外野が長持ちしまいと冷やかした。
しかしラフォーレ原宿の知名度は高く、「北九州のファッション中心地」の認知を受けるのにさほど時間を要さなかった。ここへ通うために周辺自治体から引っ越してくる熱烈なファンもいた。商圏の広がりは山口県西部や大分県北部などを含む関門都市圏広域に及び、小倉興産の経営が傾くまではそれなりに成功した商業施設だった。
2004年に建物の老朽化により老舗ファッションビルの小倉東映会館が閉鎖した。ラフォーレ原宿の勝利に終わったと考えたが、原宿・小倉は2003年開業のリバーウォーク北九州や、2004年開業の小倉伊勢丹との競争により体力を消耗していた。庇護者である小倉興産がアパマンに買収されたのが運の尽きだった。
小倉興産は小倉北口に風格のある都心空間を形成しようと社運をかけた。小倉興産21号館は小倉北口の商業核と位置づけられ、北隣のリーガロイヤルホテル小倉(小倉興産16号館)、北東隣のポステ(小倉興産15号館)と共に1993年に竣工した。開発以前は小倉興産の平面駐車場だった。
21号館は若者向けのファッションビルらしい軽快な印象を受ける。通路の主軸を駅前の角から反対側の角へ抜ける対角線に取り、小倉駅北口を回遊する空中回廊を建物内部に取り込んだ。街を行き交う人人を建物内部に誘い込むことで賑わいを演出しようとした手法は好感が持てる。
しかし小倉北口は埋立地ゆえに界隈性は皆無。地区の南側を幅広の線路で塞がれ、残り三方を海に囲まれ後背地が存在しない。それでなくても人影まばらな場所で動線を地上面と空中回廊面の二つに分散したものだから、賑わいではなく閑散が強調される残念な結果になった。
2008年1月12日作成
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