2008年01月12日更新
セントシティ北九州は、組合施行の小倉駅前東地区市街地再開発事業による大型商業施設。旧小倉そごう。この地区の再開発は非常に難航し、24年の歳月を費やした。
難航したのは施工区域にあった永照寺が原因だった。永照寺は1495年に室町で開基し、細川忠興が小倉城を築城した後の1608年に米町へ移転した。米町移転から数えても約360年の歴史と伝統を誇り、本堂は江戸時代の歴史的建造物だった。
ところが谷伍平市長(1967-87)は「駅前に寺は不要」と放言し、永照寺に立ち退きを命じた。北九州市と永照寺の対立は数十年に及び、話し合い自体が断絶して再開発は一歩も前へ進まなかった。そごうは小倉への出店が実現しないことから、1979年に黒崎へ出店して機が熟すのを待った。
1987年に就任した末吉興一市長が最優先課題に掲げて取り組んだのが、この再開発だった。末吉市長は永照寺の大手町移転と再開発ビル着工をつつがなく決め、その行政手腕をあまねく知らしめたからこそ、地元政財界の信頼を獲得して5期20年の長期政権を築いた。
1990年4月の「再開発ビルの起工式で、出席した水島廣雄・そごう社長は『最初に土地売買話が持ち込まれたのは、昭和44(1969)年11月27日23時35分。無理かと思ったときもあったよ』と裏話を披露しながら20年間の苦労を感慨深げに振り返った」(野島宏文)という。
小倉そごうは1993年に開業した。この年は小倉北口で小倉興産が手がけたリーガロイヤルホテル小倉とラフォーレ原宿・小倉が開業し、小倉は1980年代のあいだ黒崎へ譲っていた「北九州最大の商業地」の地位を奪還した。
5年後の1998年度にはアミュプラザ小倉、小倉井筒屋新館、アジア太平洋インポートマート、メディアドームが開業し、さらに5年後の2003年度にはリバーウォーク北九州が開業して、北九州市の都心としての体裁を整えた。
準備に24年を費やした小倉そごうは、そごう本体の経営破たんにより黒崎そごうと共にわずか7年後の2000年末に閉店した。後継店誘致は再開発ビルの権利関係の複雑さから長らく揉めた。権利が一本化しないことから、2002年3月にリバーウォーク北九州の建設に伴って立ち退いた小倉玉屋が仮入居した。
小倉玉屋にとって小倉駅前への出店は長年の願いで、売上が好調ならそのまま正式店舗として居座るつもりだった。しかし売上は室町の店舗と変わらない水準で推移したことから、同12月に閉店して、同社は会社存続を断念して解散した。
再開発ビルの権利が一本化したのはそごう破たんから約2年後の2002年12月だった。地元財界出資の北九州都心開発がそごう保有床を買収し、ごねる地権者34名の保有床は管理組合が一つにまとめて同社へ一括賃借した。その後はとんとん拍子にことが運び、伊勢丹が出店を決めて建物を50億円かけて改装、準備期間を短縮して、2004年2月に小倉伊勢丹が開業した。
世間一般には後継店が見つからないと騒がれたが、セントシティ北九州に入居したい百貨店は多かった。出店をもっとも強く望んだのが地元の井筒屋で、「小倉駅前への出店が許されるのなら」と感触を探ったものの、当時は井筒屋一人勝ちに対する拒絶反応が強く、受け入れられなかった。
中央からも大手百貨店3社が進出の意向を示し、その中から井筒屋との関係が良好な伊勢丹が選ばれた。小倉井筒屋・小倉玉屋・小倉そごうの三つ巴の百貨店戦争はすべての事業者を疲弊させたことから、地元政財界では過度の競争を避けたいという思惑が強かった。
小倉伊勢丹は伊勢丹と井筒屋の合弁会社だ。出資比率は伊勢丹が70%、井筒屋が30%。地元財界に急かされて準備期間がなかったこと、売場面積が小さく十分な品揃えができなかったこと、井筒屋の顧客を奪わないニッチな売場つくりが求められたこと、同じく井筒屋への気兼ねから外商部門を持たなかったことなどが災いして、苦しい船出だった。
小倉伊勢丹は初年度売上目標として260億円を掲げた。この数字は旧小倉そごうを大幅に下回る数字で、同社の狙いは、目標を上回る数字を出して大入りを宣伝することにあったろう。ところが実際の初年度の売上高は182億円程度。公言した目標を30%も下回り、おそらく内部目標の半分にも届いていない。業界筋は小倉伊勢丹の1年目を近年まれに見る大失敗と評した。
小倉伊勢丹の不振は上記したやむをえない事情のほか、北九州の市場と似ても似つかない立川店を参考に店づくりを行うなどの戦略面での失敗も大きい。中高年向け婦人服を中心に25ブランドを入れ替えるなど少しずつ修正したものの、変化のスピードが遅く、地元経済界をやきもきさせていた。
※ 小倉伊勢丹の1年目に対する総括は関門通信の論説、小倉伊勢丹の2年目に期待したいを、撤退の顛末は関門通信の記事、小倉伊勢丹が撤退 井筒屋が手中に収めるを参照せよ。
セントシティ北九州は地下1階~地上6階の売場面積約3万㎡に小倉伊勢丹が入る。地上7階~14階と地下1階の一部の売場面積約1万6000㎡は、アスクプランニングセンターが手がけた専門店街・アイム(I'm)で、衣料店、飲食店、書店などおよそ120の店舗が入る。11階にホールがあり、10階にスポーツセンターがある。地下2~3階は駐車場。地下3階の一部は機械室。
建物は有り体の商業建築で面白みがない。窓のない単調な立方体の駅前片隅を切り取って円筒を立てる。円筒の最上階は回転床を持つレストラン。最上階に回転レストランがある建物といえば、北九州では他にサンスカイホテル(1974)がある。
秋娘の厚化粧を思わせるどすピンクの色彩は地元が要請したもので、設計者は責められない。小倉井筒屋新館(1998)もそうだが、為政者が余計な口先介入を行うのはやめてもらいたい。北九州は鉄とコンクリートの産地であり、われわれはそれを誇りとしているのではないか。素材感を強調したほうが北九州らしくてよい。どすピンクとなんの関わりがあろう。
建物は小倉駅と人工地盤で繋がる。駅と直結すれば買い物客が囲い込める時代はとうに終わった。北九州では、小倉そごう・黒崎そごう・小倉玉屋の閉店により都心商業地の火が消えて、わずか数年の間に買い物客の郊外志向が激烈に強まった。もはや自動車客に嫌われては商売が成り立たない。
この場所で商売を成功させるには、駅前は不利な立地と自覚することから始めなくてはならない。
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