2008年10月22日更新
モノレール香春口三萩野駅とメディックス三萩野
メディックス三萩野 全景
メディックス三萩野は、モノレール香春口三萩野駅の西口に直結した大型複合施設。開発名は「メディカル・サポート・ハウジング」(「医療支援付住宅」の意)だった。
建物は民間の北九州中央病院(300床)と、超高層分譲マンションのレジデンシャルタワー(87戸)の2棟で構成する。北九州市の優良建築物等整備事業の指定を受けて費用の一部が助成された。用途は住宅、病院、店舗、駐車場。一般には「北九州中央病院」と呼ばれる。
この三萩野交差点の一等地は民間業者がバブル景気前の1980年代半ばに地上げして、都心南下の野心とともに若者向け商業施設の導入を企てた。都心部にはない施設で人を惹きつけようと、当時流行した大型ディスコなどのいかにもバブルな施設も検討したようだ。地上げのタイミングとしては文句なしで、こののち日本は未曾有のバブル景気に突入することになる。しかし、誤算が二つあった。
一つは、北九州にバブル景気は来なかった。それどころか、各地の好景気を受けて人口の大幅な社会減を招いた。もう一つは末吉興一氏が北九州市長に就任し、東京人の発想で小倉駅拠点化の政策、すなわち、紫川マイタウン・マイリバー整備事業を打ち出したことが挙げられる。
小倉は北側が海で後背地が狭いため、人口の重心に引き寄せられる形で都心南下が自然進行していた。三萩野の地上げはその傾向が先鋭的に表出したものといえる。しかし都心南下の野心は市の政策により打ち砕かれた。
メディックス三萩野は都心南下の夢も希望も潰えた今世紀になってひっそり着工し、ひっそり竣工した。病院棟はおそらく北九州中央病院が所有者で、なんら問題はない。レジデンシャルタワーも多少時間はかかったもののなんとか完売した。問題は住宅棟の下3階に入った商業区画。がら空きで目も当てられない。
商業区画は「駅に直結」が宣伝文句だったが、モノレール駅は集客力がない。建物はいわば袋小路で、駅からバス停への動線上にあるわけでもない。動線から外れれば人が流れてこない。この場所は車も容易には寄り付けない。人も車も呼べない場所に、商業者が入居したがらないのは当然だ。
がら空きビルの多くは設計で致命的に失敗している場合が多い。メディックス三萩野もそうだ。駅の集客力だけでは商売が成り立たないのは分かり切っている。駅はむしろ建物を覆い隠す負の効果が強いのだから、これを回避して平面の歩行者や自動車にも存在を広く訴える工夫が必要だった。ところがこの施設は「駅」というニッチに対してのみ開放的な構造で、大勢へのアピールを怠った。結果がこの体たらくだ。
北九州では東京風の駅依存型商業開発はもう通用しない。にもかかわらず、駅に対する厚い信仰はなかなか消えないものだ。
2005年10月4日作成
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