2011年1月26日更新
北九州芸術劇場
NHK北九州放送局
小倉城北堀とリバーウォーク北九州の南側立面
リバーウォーク北九州は、組合施行の室町一丁目地区第一種市街地再開発事業による大型複合施設。北九州芸術劇場、北九州市立美術館分館、ゼンリン地図の資料館などの文化施設を核に、朝日新聞西部本社、NHK北九州放送局、ゼンリン本社などの情報発信企業と、商業施設デコシティを組み合わせ、一つの街を形づくる。
リバーウォークは工場などの産業建築を除けば北九州でもっとも規模が大きい。延床16万㎡は人間の身の丈からすれば大きすぎる。単純に箱型にすると大味な印象を与えるため、全体を建物4棟と外構・設備の5工区に分けて建設した。
第1工区は黄色(収穫前の稲穂色)の複合映画館・駐車場棟。4~5階が8幕の複合映画館で、6~9階が800台収容の駐車場。駐車場は曲線がそのまま無駄な空間になるため、単純な箱型とした。
第2工区は赤(漆の赤)の大ホール棟。リバーウォークの中核施設と位置づけられる。4階以上が1300人収容の北九州芸術劇場。南側が飯椀の形状で、オーバーハング(下層階より上層階のほうが外へ張り出した構造)する。通常の鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)では工期が厳しいため、SRC梁のプレキャスト化を提案したという。
第3工区は黒(日本瓦の黒)の高層棟。朝日新聞西部本社の自社ビルだが、実質は貸事務所と言ってよい。南側を丸めた半円筒の形状で、これもよくよく見るとオーバーハングしている。15階建てにしては背が高い。屋上に鉄塔があることから、最高の高さは111.6mになる。
第4工区は土色(大地の色)の中ホール棟。NHK北九州放送局が入る。球体を縦に四つに割ったよう形状で、平面図では表せないため三次元CADを導入するなど施工ではもっとも苦労したようだ。外壁はブラジル産のジャロアンティコの石。
基本設計は極彩色建築の立役者、ジョン・ジャーディ。リバーウォークは茶器と茶請けから着想を得た。欧米では芸術家の侘び寂びの空間に対する関心が高く、日本人を招聘する動機になっている。日本人がアメリカ文化を日本好みに消化するように、ジャーディは日本文化をアメリカ感覚で仕立て直した。茶碗にダイエットコークを注ぎ、茶請けにバターたっぷりのポップコーンを添えたようなものだ。
小倉城という「真正の日本庭園に面したアメリカ感覚の茶室の提案」は、アメリカで教育を受けてコカコーラ風の価値観を持つわたしには共感できる。日本で生まれ育った識者にしてみれば、ラスベガスに京都が犯されるような慟哭を感じるらしい。しかし、アメリカ人の目には和風とコカコーラ風が絶妙な調和を成し遂げたように見える。
ジャーディは巨大ショッピングセンターの設計では世界的に定評があり、かれの作品は北米と欧州、東アジアにある。最近は中国に注目しているようだ。日本ではキャナルシティ博多、なんばパークス、ラ チッタデッタなどを手がけたが、和風のリバーウォークはかれのショッピングセンターの中では異彩を放つ。
これだけの大規模な建築が共同企業体ではなく前田建設の単独施工なのはきわめてめずらしい。事業費500億円は延床11万㎡のセントシティ北九州とほぼ同じだ。建設業界では前田建設は無理をして損を被ったのではないかと言われる。
室町一丁目の再開発は、北九州市の「小倉北区役所跡地拠点開発構想」が契機となり、隣接する室町一丁目地区の地元関係者が1994年に「室町一丁目西地区まちづくり研究会」を発足させたことにより興る。
当初の想像図では紫川河畔に30~50階建ての超高層ビルを建設するというものだった。1996年に朝日新聞西部本社とNHK北九州放送局がこの地区への移転を決定し、再開発の機運が高まって1999年に再開発組合を設立した。
事業の背景には1987年に就任した末吉興一市長が翌年に発表した北九州市ルネッサンス構想がある。門司港では門司港レトロ事業が始まり、西部郊外では学術研究都市の建設が始まった。都心部では1990年に紫川河畔を「200万都市圏の顔にする」としたマイタウン・マイリバー整備事業が始まった。
マイタウン・マイリバー整備事業は紫川の治水事業を中心に、河畔の市街地を再生する事業だ。公共投資と民間投資を合わせた総事業費は3610億円。リバーウォーク北九州はこの事業のハコモノの中核に位置づけられた施設で、高度な中枢都市機能の集積し、北九州復権の象徴的存在になることが期待された。
小倉では権利関係がまとまらず足並みが揃わない不良街区の老朽化が進む一方で、権利関係のまとめやすい完成街区が繰り返し再生される傾向が強い。リバーウォークが小倉駅南口西地区あるいは室町二丁目に立地すれば都心部全体の底上げになったのだが、小倉商人は個人エゴが強く、魚町や京町あたりの不良街区を開発するのはすこぶる難しい。
室町一丁目は小倉北区役所、ダイエー小倉店、小倉玉屋などの大型施設によって全体が占有され、権利関係が簡単だった。権利者は地区面積約3万6000㎡に14名。ちなみに再開発が難航したセントシティ北九州は、地区面積約1万8000㎡に権利者が86名もいた。室町一丁目の場合、権利者はもっぱら法人で、地区内の建物は戦前戦後に建設されて老朽化していたことから、この場所を再開発するのが手っ取り早かった。
しかし室町一丁目が中核施設の立地としてふさわしかったかは大いに疑問が残る。来街者が歩いて回る範囲は半径500mと言われる。半径500mは、波及効果や相乗効果が取れる範囲だ。リバーウォークを中心に半径500mの円を描いてみれば、きわめて損失が多いことが分かる。南半分は勝山公園だし、北側は200m先でJR線へ行き当たる。線路北側は無人地帯だ。東側は紫川が横たわる。
デコシティは開業以来、予想を超える来客で賑わった。紫川河畔の環境もすばらしく、おおむね市民にも好評だったものの、肝心の売上が伸びなかった。半径500mの目ぼしい施設は井筒屋くらいなのだから当然だ。リバーウォークは紫川東側の都心部への波及効果が小さく、反対に都心部の集積から受ける恩恵も小さい。この施設が平和通りに立地すれば、都心部全体に波及効果が及び、相乗効果が生じたはずだ。
北九州市はつくづく街づくりが下手だと思う。権利関係の簡単な土地に頼りすぎだ。福岡のように大型商業施設が一箇所に集まっていれば、相乗効果が生じて規模以上の吸引力を発揮する。北九州ようにばらばらだと反対に牽制効果が働く。リバーウォークの客のどれだけがチャチャタウンへも行くのか。都心内部でそれぞれ商圏が孤立しているのが北九州の欠陥だ。
小倉は求心力が決定的に欠如しているのだから、九州最大の商業地の地位を奪還するには、最小の投資で最大限の効果を取る綿密な戦略が必要だった。巨額の投資をして都心内部で仲間の足を引っ張ってどうするのか。実際、リバーウォークが開業し、小倉伊勢丹が開業したにもかかわらず、来街者は増えずパイ争奪戦の激しさが増しただけだった。商業戦略の失敗以前に、都市計画があまりに拙い。
リバーウォークは福北連携の産物だと言われる。地権者は福岡に軸足を移して北九州の機能を形骸化させたNHKや朝日新聞社。事業を仲介したゼンリンは福岡財界の傀儡だった。こういった福岡恋慕組が再開発の主役だから、総合監修を福岡地所関連のエフ・ジェイ都市開発に頼もうという話になる。
わたしは福北連携は悪くないと考えるが、福岡恋慕組のポジショントークは気に入らない。福北連携はいわば自動車産業におけるトヨタと日産の関係のようなものではないか。両社は自動車産業の健全な発展という点で利害が一致しようが、永遠のライバルであることに違いはない。
ところが福岡恋慕組の福北連携は、いわばトヨタとダイハツの関係だ。ダイハツは言うまでもなくトヨタの子会社。かれらは北九州市内に「福岡」を出現させることで、嫌悪する北九州のアイデンティティを抹殺し、恋慕する福岡のアイデンティティに乗り換えたいと願っている。
リバーウォークはキャナルシティの二番煎じだの劣化コピーだのとさんざん貶された。当初わたしは心ない誹謗中傷に対していちいち反論した。差異は建築計画や施設内容などいくらでも挙げられる。しかしそれもだんだん嫌になった。結局のことろ、かれらが「キャナルシティ博多2号店」を望んだのだ。
かつての北九州の先進気質はどうなったのか。亜流をありがたがるような性根で北九州の復権があるはずがない。リバーウォークは福岡ブランドとは対立を鮮明にして、別の価値観や存在感を示す必要があった。たとえば門司港レトロは福岡市からも集客する。北九州独自の魅力を開拓すれば、北九州の商圏は広がる余地があった。
この意味で総合監修を福岡地所に丸投げにしたのは最悪だった。福岡地所にやらせれば、福岡にある施設の焼き増しになるのは初めから分かっていた。「キャナルシティ博多2号店」は福岡の宣伝塔に他ならない。これでは北九州から福岡への流れが加速するばかりだ。
北九州に有能な戦略家はいないのか。リバーウォークは都市計画もなっていなければ差別化戦略もなっていない。500億円は小さな額ではない。もう取り返しのつかないこの施設を見るたびに、わたしは嘆息するばかりだ。
2005年9月15日作成
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Riverwalk Kitakyûsyû (Kitakyushu)