2009年8月24日更新
苅田プレモントホテル 差し押さえ中 2006年2月
苅田プレモントホテルは、ホテルオオハシグループ(本社、長野県飯田市)が運営するビジネスホテル。建設地は国道10号と苅田臨海工業線に挟まれた区画道路沿い。JR苅田駅からは歩いて数分。周囲は一戸建てがまばらに散らばり、生活臭あふれる垢抜けない立地だ。ホテルが都心の華だった時代は過ぎ去った。
ホテルオオハシグループは長野南部の飯田市に1、同伊那市に2、同駒ヶ根市に2の合計5ホテルを擁すほか、福岡県大川市にもホテルがある。長野南部と筑後の接点は分からない。苅田への進出はトヨタ自動車九州 苅田工場の操業開始と新北九州空港の開港によって宿泊客が増えると見込んだため。
「プレモントホテル」はホテルオオハシの今後のブランド名になるらしい。2005年11月時点では駒ヶ根だけだが、苅田も駒ヶ根と同様のホテルになる。すなわち、嫌煙者の宿泊客に配慮して禁煙室のみならず禁煙階を指定し、客室にはブロードバンド回線を引き込んでインターネットの無料接続を提供する。
最上階(11階)はレストラン「バイキングかん太郎」などが入る。宿泊料金は一泊6000円からで、客室は一人部屋が124、二人部屋が3。外観の見た目を裏切らず、純粋なビジネスホテルと言ってよかろう。
施工業者の木村建設(本社、熊本県八代市)は、姉歯建築設計事務所による構造計算書の偽造事件で、問題の建築物の大半を施工したことで知られる。
苅田プレモントホテルは姉歯建築設計事務所が構造設計を担当し、木村建設が施工、日本ERI北九州支店が確認済証を交付した。ホテルオオハシは駒ヶ根プレモントホテルとホテルセンピアでも耐震偽造が確認され、経営危機に立たされた。
木村建設は2005年11月21日の手形決済で不渡りを出した。主要取引銀行の熊本ファミリー銀行が自己保有の債権を木村建設の当座口座にあった預入金で相殺したのが原因らしい。手形決済用の金を押さえられて、落ちるはずの手形が落ちなかった。銀行が渦中の会社を自己保身のために潰し、会社再生の芽を摘んだことに対しては問題視する声が多い。木村建設は2005年12月1日に自己破産を申し立てた。
これを受けて木村建設の現場はどこも工事が止まった。苅田の現場はホテルオオハシが「正規の建築確認を経て完成間近なのに、いまさらダメでは納得できない」と反発して工事を続けさせたが、2005年11月28日に中断になった。同30日には日本ERIが再確認の結果として、黒の判定を下している。
2005年12月7日の最終報告によれば、建物は一部の階で新耐震基準の95%の強度しかないという。新耐震基準は全国一律ではなく、地域によって地震地域係数が異なる。苅田(係数0.8)で95%というのは、姉葉建築士の地元・千葉県市川市(係数1.0)なら76%ということだ。
ホテルオオハシは建物を補強した上でホテルを新北九州空港の開港までに開業させるとした。2006年2月19日に改めて現場を訪れたが、2005年11月末と同じ状態だった。現場には木村建設代理人らが管理・占有を宣言した2005年11月24日付の警告書が掲示されていた。
ホテルオオハシは2006年8月4日に住民説明会を開き、補強工事の計画に対して建築確認が下りたことを説明した。「姉歯の耐震偽造ホテル」と大騒ぎされたが、建設中だったことも幸いして、大損害にはならなかった。柱を太くし、壁を厚くするなどの補強工事を行い、2006年12月26日に予定より1年遅れで開業の日を迎えた。
2006年12月25日作成
自動車産業の町・苅田は、米国のサブプライムローン問題に端を発した経済・金融危機の直撃を受けた。新北九州空港の見込み違いに加えて、自動車産業の不振により、苅田プレモントホテルは2009年6月30日をもって休業に追い込まれた。景気が回復すれば再開という話だが、見通しは立っていない。
北九州地区のビジネスホテルは新北開港前後からの開業ラッシュにより客室数が倍増の勢いで増え続け、特に苅田町周辺は激戦区だった。遅かれ早かれ退場者が出ると思っていたが、苅田プレモントホテルは耐震偽造事件で躓き、リーマン・ショック後の景気後退にも打ちのめされて、本当に気の毒だ。
2009年8月24日追記
©2010 ガゾーン 転載自由。著作権は関門通信またはその情報提供者に属します。
Kanda Premont Hotel