2010年9月16日更新
夕暮れの勝山公園(再造成後)越しに望む城内タワー 2010年9月
夜の勝山公園(再造成後)越しに望む城内タワー 2007年8月
勝山公園越しに望む城内タワー 2005年8月
北九州都市高速道路1号と城内タワー 2005年4月
建設中の城内タワー 2004年6月
建設現場の小さなクリスマス 2003年12月
城内タワーは、不動産開発のみくに産業(本社、北九州市)が勝山公園「子どもの遊び場エリア」西側の小倉職安跡地で開発した同社初の超高層分譲共同住宅。店舗等が入らない純粋な住宅専用タワーマンションはこれが北九州で初めて。18階に一流ホテルを模した来賓室があるそうだが、当然に入居者専用だ。
物件のウリは住所が「城内」であること。城内の地位(ちぐらい)は北九州でもっとも高い。「現代の小倉城」という宣伝文句に偽りはなく、他人に鼻を高くして自慢できる立地だ。しかし敷地の南側が6車線の幹線道路で、その上を都市高速1号が通る。道路向かいは15階建ての公団住宅だ。公園隣接とはいえ、住環境はあまりよくない。
北九州は日本の都市としては例外的に地盤がよいが、紫川西岸の大手町台地は特に堅固な礫岩・砂岩によって形成され、大きな樹木が根を張るだけの土がない。城内・大手町を縦断する清張通り(市道大門木町線)の拡幅工事では、街路樹のケヤキを植えるために地盤を破砕して植木鉢をくり貫いた。
城内タワーの基礎をつくるに当たっては、通常の超高層建築物で用いる杭を一本も打ち込まず、ニューヨーク・マンハッタンよろしく岩盤を削って地下6mの位置に直接基礎を埋め込んだ。東京の下町などでは何十本もの杭を地下100m以上の深さまで打ち込むが、要するに地盤がこの上もなく軟弱だからだ。
建物本体は通常の2倍の強度を誇る鉄筋コンクリートを採用し、構造体の大規模補修不要期間を約百年とした。地盤と建物の強度に関してはこれ以上は望めない。工期半ばで施工業者の森本組が倒産したが、工事は大成建設がつつがなく受け継いで、なにごともなかったかのように竣工した。
意匠設計の黒川雅之氏は建築よりも小物類で知られる。全体の造形よりも細部の目配りがうまい。
黒川氏は城内タワーで「日本人の心の奥底に息づく美意識を現代の最先端で表現した」という。外観は「光と風景」を映し出す白を基本として、素材に輝きを添える銀色をあしらった。建物四隅に設けた見晴らし窓は、時間や天気を写す鏡の役割を果たし、光と影が建物の表情をつくる。
題目はよいとして、北九州のタワーマンションは最初が黒川紀章の話題作だったせいで、後からできる建物は押しなべてつまらなく見える。城内タワーも造形に新味はない。ただ、細部の作り込みにはこだわりが感ぜられる。たとえば勝山公園から眺めると、緑の公園の奥にタワーが輝いて見えるが、この「きらきら感」はアクセサリーのようだ。
2008年1月19日作成
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Zyônai (Jonai) Tower