2008年10月25日更新
アパンダビル 2006年12月
アパンダビルは、石原商事(本社、北九州市)が鍛冶町の勝山通りに出店したホテル主体の複合ビル。開業当初の店子は、1階が小型食品スーパーの「フレッシュモールアパンダ鍛冶町店」、2~4階がステーキハウス「越後屋」、料亭「津か﨑」、ラウンジバー「Zack」、4~7階が「ホテルアパンダ」。東側に機械式タワー駐車場が張りつく。
石原商事は2006年12月27日に大阪地裁に会社更生手続の開始を申立てた。負債総額は約180億円。怪進撃を続けていた企業の唐突な破たんに驚いた方が多かったが、急成長企業は得てして綱渡りで規模を拡大しているもので、些細な綻びが命取りになる。これを受けてアパンダビルはホテルを除いて閉鎖された。
石原商事は食品スーパーのアパンダ、葬祭場の聖雲閣、ツタヤほか、複数の飲食店の経営する企業だった。他に、日用雑貨の輸出入や監視カメラシステムの販売なども手がけた。創業者は1957年生まれで直方出身の石原浩二氏。ダイエーを1990年に辞職し、1992年に石原商事を設立した。
会社が認知を受けたのは2003年だろう。同2月に葬祭事業に乗り出し、「聖雲閣 三ヶ森斎場」を開業させた。同12月に経営破たんした寿屋伊田店を買い取り、ディスカウントストアの「シアーズ・1 田川店」を開業させた。同社は寿屋の閉鎖店舗に目をつけ、九州各地でシアーズ・1を多店舗展開して成功を収めた。
2003年にどんな転機があったのかは知らない。その後、石原商事は爆発的な規模拡大を遂げ、小売業界の風雲児と呼ばれた。2006年3月には広島の同業者「おおうち」を買収し、同4月には「スーパーなかの」を買収した。同7月には元ダイエー副社長の平山敞氏を社長に、元日興証券常務取締役の桑野純明氏を社外監査役に迎えた。石原氏は会長に退いた。
大物2名の経営への参画は、不動産流動化や株式公開の準備を進めるためだった。前者が実現すれば約40億円が調達できた。後者が実現すればおそらく50億円以上が調達できた。しかし無理をした「スーパーなかの」買収で誤算が生じた。27億円近い負担が生じる一方で、不動産流動化に失敗して資金調達のメドがつかなくなった。
企業買収を始める前の段階で玄人経営者が石原商事の経営に参画していれば、こんなつまらない最期にはならなかったろう。素人経営で勇み足が過ぎたということか。中核事業の食品スーパーは、ユアーズ(本社、広島県海田町)と、その傘下の丸和(本社、北九州市)が店舗を引き継いだ。
アパンダビルは石原商事が新規事業として始めたホテル事業のために建設された。全国各地で金太郎飴を建設して地方色も界隈性も顧みないビジネスホテルチェーンと異なり、歓楽街立地に対応して小売店や飲食店を大胆に組み込み、夜の街を華やかにする好もしい存在だった。
北向きであることを逆手に取ったパノラマ処理のファサード(建物前面)は、ホテルの受付や飲食店の客席などの華の部分を前面に集めて、居心地のよさが外部から眺められるようにした。同じく北向きの東横イン小倉駅南口と較べるとよい。非常階段の窓が縦一列に並ぶだけのファサードは街を暗く寂しくする。
ただ、アパンダビルは密集地仕様の建物だから、側面処理がぞんざいだ。西側に大きな建物がなく、アパンダビル自体はうなぎの寝床となれば、街を行き交う市民はまず側面を目にする。小倉駅方面から眺めるとクリーム色のベタ塗りでしかなく、良い印象は持てない。
2008年1月13日作成
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Apanda Bldg. (Mainly Business Hotel)