2008年02月22日更新
自動車の目: 小倉駅大門線(大門工区―室町工区)
火の橋 奥は船頭町(小倉駅西地区)
小倉駅大門線は、小倉駅南口から小倉駅西地区を貫いて紫川に架かる火の橋を渡り、西小倉駅前を経て大門一丁目で幹線3号に接続する補助幹線道路。起点から東に伸びて浅香通りへ至る博労町線(延長182m×幅員25m)とともに都心を東西に貫く重要な通りだが、愛称は持たない。
火の橋から西小倉駅前までの室町工区は1991年までに整備済み。西小倉駅から大門一丁目までの大門工区は2007年に新設されて供用を開始した。これにより、紫川東通りから小倉駅大門線経由で幹線3号へ通り抜けられるようになった。要の小倉駅西地区の工区は供用の目処がついていない。
道路規格は小倉駅西地区の工区が博労町線と同じ仕様だろう。すなわち、幅員25mで4車線+両側歩道か。室町工区と大門工区は幅員15~17m(?)で2車線+両側歩道になる。道路の新設や拡幅には四半世紀を要する。重要な道路は将来を予見して余裕を持ってつくるものだ。この仕様にはがっかりした。
大門工区は計画では幹線3号(竪町到津線)から大門一丁目交差点を直進し、線路沿いに西小倉駅南口へ抜ける線引きだった。現実は大門一丁目から日豊線踏み切りを渡って平松団地へ抜ける大門鋳物師町1号線の整備との絡みで、この生活幹線道路から無信号のT字交差点を設けて分岐する。
動線を幹線3号⇔小倉駅大門線に付け替えれば、東の砂津交差点と対をなして、碁盤の目の街路網の欠点である右折による渋滞発生を解消する効果が期待できた。しかし長年のあいだ交通の流れは大門鋳物師町1号線⇔幹線3号だったから、これを尊重して道路を付け替えなかった。
幹線3号が4車線、小倉駅大門線と大門鋳物師町1号線が2車線となればY字分岐という手もあったはずだが、実際の交通は大門鋳物師町1号線から幹線3号と小倉駅大門線へY字に流れる。幹線3号⇔小倉駅大門線は重要視されていない。大門工区は大門鋳物師町1号線の西小倉駅延伸という印象が強い。
2008年1月に開催された北九州市中心市街地活性化協議会の第1回小倉地区幹事会で北九州市建築都市局の担当者がまちづくりの基本計画を説明した。司法書士カケハシの業務日誌によれば、小倉駅大門線の整備は計画に入っていない。「小倉駅西地区の再開発という面的な側面、5年以内に事業化できるかという観点から計画には入れなかった」。
小倉の街が不出来なのは小倉商人の協調性のなさと個人エゴ優先に原因の一端があるが、道路用地を放置し続ける行政に重過失がある。建築基準法では道路用地は道路と同じ扱いであり、建築制限が適用される。道路用地内の新築は原則不可能で、市長の許可を得ても階数が2階以下で容易に除却できるものでなければ建てられない。
道路は街に流れをつくるが、道路用地は街を淀ませる。小倉駅南口から西へ歩むと街はひどい有様だ。建物が朽ちて櫛抜け、ぞんざいに設置された駐車場ばかり目につく。初めて北九州を訪れた来街者がこの惨状を見てどう思うか。「なるほど、ここは道路用地か」と思い当たる方がどれだけいよう。もう場末か。なんと小さく、汚い街だろうと嫌気する。
初老の方に昔日の小倉について話を聞いたことがある。かれが若かったころ、現在の小倉駅西地区は恋人たちがウインドーショッピングを楽しむ華やかな場所だったそうだ。なぜ恋人たちの街は滅びたのか。この場所が都市計画道路や市街地再開発事業予定区域に指定され、時の歩みを止められたからだ。
道路事業は雇用の調整弁であったり、劣悪な住環境から脱せない住民に対する福祉であったりと、便益だけでつくるわけではない。どこぞの道路を100年がかりでつくるのは結構だ。都心部の都市計画道路は予算を集中投下して直ちに建設したい。小倉は道路用地や再開発用地のせいで都心部がドーナツ化現象を起こし、街の形成に深刻な悪影響を及ぼしている。
小倉駅西地区の再開発と小倉駅大門線の建設を同時進行で進めるのがよいのは分かる。見込み薄の再開発を待っているあいだにも街は壊れてゆく。40年かけてできなかった道路だろう。次の5年もつくる気がないのなら、もう計画を白紙に戻したほうがよいのではないか。そうすれば街は少なくともブラックホールと化した現状から脱して、再生へと舵を切れる。
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