2009年10月18日更新
芳雄橋 吉原町側の親柱
芳雄橋 河川敷から
芳雄橋中央部の休憩所からあいタウン方向
芳雄橋の中央部バルコニーから見た中之島 中洲と両岸を結ぶ沈下橋も写る
中之島から見た芳雄橋の階段 ※クリックで逆方向
あいタウン屋上から俯瞰した芳雄橋
芳雄橋は、飯塚市中心部の遠賀川と穂波川の合流地点に架かる橋。飯塚市の目抜き通り・県道新飯塚花瀬線の橋で、官公庁街の新飯塚地区と、中心商業地の吉原町地区を連絡する。飯塚の二大交通要衝であるJR新飯塚駅と飯塚バスセンターはこの道路沿いにある。
1928年製作の旧橋は戦前の土木遺産として市民に慕われていたが、橋長220m弱に対して橋脚が22本あり、2003年7月の飯塚大水害の際に流木などを引っかかけてダムのように水流を堰き止めた。床上浸水対策特別緊急事業の一環として撤去、新橋に架け替えられた。橋の中ほどに横たわる中之島も同事業により整備が進む。
新しい芳雄橋は設計段階で二つの提案がなされた。一つは、歩道に石畳舗装をして中央部に屋根付きのテラスを設けるクラシック案。もう一つは、橋の中央を大屋根で覆い、歩道や中央部のテラスに木製デッキを設えたダイナミック案。市民は「歩道中央部の屋根を上下流両側に付けてほしい」と注文をつけた上でクラシック案を選択したが、完成した橋は提案当初のものではないか。
橋梁形式は中空床版橋。この形式は他の橋梁形式よりも床版厚が薄く、両岸部の嵩上げが不要で、平面的な橋を架けることができる。架橋地点は中心市街地にもかかわらず土手があり、他の橋梁形式を採用して床版がさらに高い位置になると、歩行者や自転車の往来に支障をきたす。場所打ちする場合はコンクリートの充填不足などの施工不良が生じやすく、学識経験者なども交えて有効な対策を検討したそうだ。
外観は本物の石橋に見える。歩道に石畳を敷き詰め、欄干にも石材を惜しみなく使用した。親柱の灯火も懐古趣味にしゃれている。河川敷に下りて見上げれば薄っぺらな床版が見えてコンクリート橋だと分かるが、橋脚も石張りで、全体を手抜きなくていねいにつくってある。新・芳雄橋と比較すると、紫川の石の橋(勝山橋)が浅薄に見える。ただ、中央部バルコニーの屋根は木製のほうが似合ったろう。
街の真ん中を流れる河川空間を利用して都市を代表する景観形成を目指したという意味で、新・芳雄橋と中之島の整備事業は北九州の紫川マイタウン・マイリバー整備事業に似る。北九州の事業も治水対策が動機だった。両者の違いは河川の幅。飯塚では広い川幅と中洲を有効活用することで、両岸の市街地に手を入れる必要がなかった。
マイタウン・マイリバー整備事業の勝山公園に当たるのが中洲の中之島だ。わたしは川幅200mは両岸の市街地を一体化するには埋めがたい距離だと考えていた。新・芳雄橋の中央部バルコニーから中之島に階段を下ろし、この無益な土地を中央公園化することで、埋めがたい距離が克服できたのではないか。市街地を切り裂く深い溝を、晴れやかなオープンスペースに転換する発想は見事だった。
2005年12月22日作成、2009年10月18日更新
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