2009年1月6日更新
国際友好記念図書館 真正面
国際友好記念図書館 東側面
国際友好記念図書館は、帝政ロシアが1902年に中国・大連市に建設した東清鉄道汽船会社事務所の複製。門司港レトロの第一船溜北岸に立地する。1階はレストラン、2階は中国・アジアの文献を収蔵した図書館、3階は資料展示室。
石を挟んだ煉瓦造はめずらしくないが、この建物は意匠が繊細で華やかに見える。上部はドイツ伝統のハーフティンバー様式を取り入れ、煙突や小さな屋根窓、尖塔を設けた複雑な屋根を乗せる。設計者は帝政ロシアに招聘されたドイツ人らしい。
外壁の石材は、大連市近郊で採れた御影石(花崗岩)で、5000個を輸入したものが使われています。石の表面に平行にはしる削り跡は、大連市の石工の協力で原形通りの石鑿(のみ)の跡を再現したものです。
1902年当時、屋根には中国瓦が葺かれていたことから、日本の気候にあったものを国内で特注されたものが使用されています。平瓦と平瓦を交互に組み重ねる「反瓦葺」は、現在でも大連市郊外の農村でよく見られる葺き方です。
大連市の工場で焼かれた煉瓦の数は、10万個で、その中から約4万5000個を選んで使用しました。煉瓦は「イギリス積み」(一列ごとに交互に大小2種類のサイズの煉瓦を積み上げていく煉瓦積みの方法)です。
石や煉瓦の目地が珍しい「覆輪形状」になっています。このような山形に盛り上がるようにしたのは、遠くから建物を見たときに立体感を出すための工夫で、独特のコテを使って仕上げます。(ギジュツドットコム)
北九州市は当初、大連市との友好都市締結15周年の記念として移築を無心したが、大連でも歴史的建造物の保存運動があることを知って遠慮した。文教施設にしたのは、門司港レトロに風俗営業法の規制店舗が進出するのを防ぐ狙いがあった。
日本は1898年に大連や旅順一帯を中国から租借して直轄植民地・関東州とした。東清鉄道汽船会社事務所が建設されたのは1902年。大連は日本の外地と化していた。建物は1907年に大連倶楽部、1926年に日本橋図書館と用途を変え、第二次世界大戦が終わるまで日本人ご用達の施設として利用した。
戦後は庶民向けの集合住宅を最後に解体撤去。国際友好記念図書館の建設後、日本から建材を逆輸入して、芸術展覧館として再建した(看看大連)という。周囲はロシア風通りと称した似非懐古の観光地に変貌した。似非懐古のテーマパークという意味では、北九州よりも大連のほうが本格派だ。
2005年12月19日作成、2009年1月6日更新
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Kitakyûsyû International Commemorative Library