2005年12月19日更新
国際友好記念図書館は、帝政ロシアが1902年に中国・大連市に建設した東清鉄道汽船会社事務所の複製。建設にあたっては、煉瓦や石材を中国から輸入した。
石を挟んだ煉瓦造りはめずらしくないが、この建物は意匠が繊細で華やかに見える。上部はドイツ伝統のハーフティンバー様式を取り入れ、煙突や小さな屋根窓、尖塔を設けた複雑な屋根を乗せる。設計者は帝政ロシアに招聘されたドイツ人らしい。
北九州市は当初、大連市との友好都市締結15周年の記念として実物の移築を無心したようだが、大連でも歴史的建造物保存の動きがあることを知って遠慮した。文教施設にしたのは、門司港レトロ地区に風俗営業法の規制店舗が進出するのを防ぐ狙いがあった。蔵書の大半は中国、韓国、東南アジア関係。1階には大連市から出店した中華料理店あかしあが入る。
日本は1898年に大連や旅順一帯を中国から租借して直轄植民地・関東州とした。大連の建物が建設されたのは1902年だから、大連は時すでに中国ではなく、日本の外地と化していた。
東清鉄道汽船会社事務所だった期間は短く、1907年に大連倶楽部、1926年に日本橋図書館と用途を変え、第二次世界大戦が終わるまで日本人ご用達の施設として使用した。
戦後は庶民向けの集合住宅を経て、現在は芸術展覧館として使用する。周囲はロシア風通りと称した似非懐古の観光地に変貌した。似非懐古のテーマパークという意味では、北九州よりも大連のほうが本格派だ。
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Kitakyûsyû International Commemorative Library