2008年10月5日更新
明治屋門司営業所
大分銀行門司支店跡地(左)と、明治屋門司営業所跡地(右)
明治屋門司営業所(明治屋門司支店)は、輸出入業者の明治屋が戦前に大陸貿易の拠点として設けた事務所。明治建築界の大家、曾禰達蔵が手がけた建物として一目を置かれる存在だったが、2005年のある日、忽然と撤去され、営業所は最寄の賃貸ビルへ引っ越した。写真は撤去一月前の撮影になる。
建物は瓦葺きの寄棟造で、玄関上に明治屋の三つ鱗を刻んだ破風を飾り、その上の2階は幅広の円弧アーチ窓を穿つ。門司港では数少ない赤煉瓦だったが、戦災を受けて正面がモルタルで塗り潰され、化粧用の胸壁も取り除かれて屋根が丸見えになっていた。右手の取ってつけたような部分は戦後の増築だろう。
煉瓦造にもかかわらず1階正面に大きなショーウインドウがあった。壁組みの煉瓦造で大きな開口部を設けるのは構造上不可能で、こんな大穴を空けると2階が崩れ落ちるはずだが、竣工当時からこうだったという。となると単純な煉瓦造とは思えないが、詳しい構造は分からない。
曾禰達蔵は1853年に江戸の唐津藩屋敷で殿の側近の子として出生した。1879年に辰野金吾、片山東熊、佐立七次郎と共に工部大学校造家学科の第一期卒業生となり、1890年に師のジョサイア・コンドル(1852-1920)と共に「一丁ロンドン」と呼ばれた東京・丸の内の煉瓦街を造った。コンドルから強い影響を受け、ビクトリア調のゴシック様式を得意とした。
名声をあまねく轟かせた大家が、当時まだ個人商店の明治屋支店を手がけたのは妙な気がする。しかし曾禰達蔵は明治屋本店(1933)を筆頭に、各地で明治屋の支店を設計した。明治屋とは関係が深かったようだ。解体前の明治屋門司営業所はこの年代の設計者不詳の建物と代わり映えがしないが、竣工当時の姿には曾禰の作風が認められたという。
2005年12月13日作成、2008年3月21日更新
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