2007年09月08日更新
山陽ホテルは、山陽鉄道が山陽線の終着駅にして大陸航路の玄関となる下関駅の開業に合わせて開業させたホテル。戦前は大陸植民地へ渡航する皇族や政府高官ご用達の宿泊施設で、当時の新聞が宿泊者の氏名と職業を連日掲載するほど社会的地位が高かった。
ホテルの開業は1902年。「初代の建物は木造2階建、3棟からなり、客室34室を備えた瀟洒な建築」(Rody)だったという。1906年の山陽鉄道国有化に伴って国鉄に所有権が移ったが、1922年の火災により消失した。現在の建物は国鉄が1924年に再建した。設計は東京駅の赤煉瓦駅舎で縁があった辰野葛西建築事務所に委ねられた。
2代目は鉄筋コンクリート造で、表面は長手積みの小口煉瓦張りで仕上げる。旧百三十銀行八幡支店(1915)も同じ組み合わせであり、上下階の窓を組にした窓枠処理も似通う。辰野金吾は1919年に他界してこの建築には関与していない。旧百三十銀行が片岡安の作風なら、こちらは葛西萬治の作風か。いや、両者には共通項が多いから、辰野の弟子の作風とみるべきだろう。
再建から18年後の1942年、関門鉄道トンネルが開通して山陽ホテルの前にあった下関駅が西の竹崎町へ移ったことや、太平洋戦争の戦況が悪化したことなどの影響を受けて、ホテルとしての営業を停止した。駅前の賑わいが消えた上に、大陸渡航者も見込めなくなった。その後、建物は貸事務所に改造され、名を国鉄下関ビルと変えた。
2003年の耐震検査で老朽化による危険が指摘され、翌年に店子の広成建設山口支店が退去して、以降は空き家になっている。地元自治会や文化団体などが「旧山陽ホテル保存推進会」を結成して保存を呼びかけ、当面の解体撤去は免れたが、下関市は財政事情が厳しいとして保存活用には及び腰だ。
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Former San'yô Hotel