2006年02月09日更新
嘉穂劇場は飯塚大水害の象徴として一躍世間の耳目を集めた。洪水は災難だったが、この劇場に関していえば、「災い転じて幸いとなす」と言えるのではないか。
なるほど嘉穂劇場は筑豊に現存する唯一の劇場であり、規模も並外れて大きく、江戸時代の芝居小屋様式を現代に伝える貴重な存在だ。しかし建物は老朽化し、公演はまれにしか行われず、劇場は座して死を待つ状態だった。
劇場の被災は全国へ大大的に報道された。その結果、俳優の津川雅彦氏が呼びかけ人となり、有名タレントが集まって復旧支援公演が開催された。一般の支援者や協賛企業も現れた。
さすがに好意だけで募金目標の3億円を集めることはできなかったが、運営母体を個人経営から民間非営利団体へ移すことで公的資金の注入を受けた。復旧資金として日本宝くじ協会が2億円、日本小型自動車振興会(オートレース)が1億5000万円を寄付した。市民の義援金は最終的には1億3000万円に達した。
復旧・修繕費用は2億7000万円余り。余剰金は劇場内部の音響、照明などの施設整備に投じたほか、再開後の公演費用に保留した。被災から約1年で復旧した新しい劇場は、回り舞台なども復活して被災前よりよい建物になった。
嘉穂劇場は1931年2月に竣工した。1921年12月に棟上した中座が9年後の1930年7月に台風により倒壊したため再建した建物だった。穂波川土手で行き止まる半閉鎖街区の奥まった場所にあり、立地条件はよくない。竣工当時の様子は知らないが、いまは場末だ。
一個人の営利施設として誕生した嘉穂劇場は、戦前は伝統芸能が公演の中心だった。戦後は伝統芸能が後退し、大衆演劇や歌謡ショーの類いが増えた。最盛期の1960年代前後は半ばストリップ小屋に堕落した。
ストリップを止めた1970年代以降は公演日数が激減し、1980~90年代の公演日数は1年で40日以下、被災前の2002年は1年で16回の公演しかなかった。嘉穂劇場は被災しなければ次の10年を待たず廃業になったろう。経営者の伊藤英子氏は高齢を理由に廃業を考えていた。
それがいまは飯塚市を代表する顔であり、市民の誇りである。被災によって市民の劇場への愛着が芽生えたのがなによりだった。被災後は毎月のように有名人が公演を開くようになり、劇場としても息を吹き返した。マスメディアの注目も飛躍的に高まり、ことあるごとに報道してくれる。
2005年になってサントリー文化財団が嘉穂劇場の水害復興や大正期から大衆娯楽を提供してきた実績を評価して「第27回サントリー地域文化賞」を贈った。被災の前後でこうも世間の耳目が違ってしまうのかと怪訝になるが、きっかけはなんでもよい。支援の輪が一過性の熱病で終わらないことを願う。
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