2007年01月01日更新
旧麻生商店(旧麻生鉱業ビル)は、飯塚の麻生商店が1936年に若松港の営業拠点として開設した事務所。麻生は筑豊の石炭財閥で、若松は石炭の積出港だった。
北九州商工会議所若松支所が入居した時期もあったが、最後は若松旅客自動車協同組合の事務所を残して空き室になった。2004年に古家付の売地として4800万円で売りに出され、2006年12月に解体撤去された。跡地にはマンションが建つ。
建物は角をやわらかに丸めて玄関を設け、その上の2階窓を大胆な格子で塞ぐ。3本の柱を空へ突き出した面構えは兜のようだ。木造で表側がタイル張りといえば旧大阪商船(1917)が思い浮かぶが、旧麻生商店の裏側はモルタル塗りではなく板張りで、手抜きの度合いが大きい。内部は1階入口に大きな受付があり、石炭ボイラーで全室に蒸気を通し、床暖房を完備した。
若松バンドのエルナードに面し、区画道路を挟んで東隣には市民の保存活動によって救済された旧古河礦業若松支店(1918)がある。近代建築が2棟並ぶと、街角の空間までがレトロな雰囲気に包まれて魅力が高まる。
旧麻生商店は設計者不詳だが、玄関部分の意匠は作者性が高かった。強い個性を持つ旧麻生商店が壊され、様式建築の旧古河礦業若松支店が守られたのは考えらせられる。
唯一無二の個性よりも横並びの様式を尊ぶのは、与えられた課題の中で優劣を競い合う学校教育の影響か。これでは近代建築から作者性や地域性が失われ、全国津津浦浦に点在する同じ表情の様式建築しか残らなくなる。
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