2008年10月5日更新
日本水産戸畑支社 関門港洞海地区の一文字船だまりに面する
若松南海岸からもよく見える屋上看板
正面玄関 向かって左手に警備室
側面 中廊下式で思いのほか厚みがある
裏はモルタル塗り。ヘの字の建物と知れる
一文字船だまりと若戸大橋
旧共同漁業ビルは、関門港洞海地区一文字船溜に面した日本水産の元拠点事務所。建物の玄関に「日本水産株式会社戸畑支社」と書いてあるが、支社はとうに廃止されて存在しない。現在は雑居ビルで、同社営業所のほか、北九州ニッスイ、ニッスイマリン工業、ニチモウ、豊福組などが入居する。
日本水産は創業者の田村市郎が1911年に下関で田村汽船漁業部を創立したことにより興る。1919年に共同漁業として株式会社に改組、1929年に関門海峡対岸の戸畑漁港へ本拠地を移転し、遠洋漁業の一大拠点を築き上げた。この建物が竣工した翌年の1937年に日本水産と社名変更した。
最盛期は昭和40年(1965)代後半で、約3000名の海上従業員が戸畑漁港を基地にして活躍したという。しかし日本水産は1966年に本社を東京へ移転、1977年以降は各国で二百海里政策による排他的経済水域が設定され、1990年代に遠洋漁業は終焉を迎えた。支社も博多港の箱崎埠頭へ移転した。
建物は道路が直角に折れ曲がる角地にある。一文字船溜から見ると四角い建物の角を切り落として塔状の玄関面をつくった風だが、実際はヘの字の建物で、塔部の両側に羊羹型の翼部を折り曲げてつなげる。角地でなく翼部が水平につながっていれば、この時期の官公庁舎に似ている。
様式としては近代主義(モダニズム)に与するが、戦前の国威高揚が背景にあり、全体的にいかめしい。柱型で縦を強調し、屋上に尖塔アーチのように突き出す。塔屋は半円アーチを描く。このあたりに様式を感ずるが、場当たり的な印象は拭えない。この野暮ったさが竹中工務店の作風だ。
塔部の4階にぽつんとあるベランダは遠見櫓の代わりか。塔屋の上に立つ鉄塔は超短波の空中線、左隅に立つ棒は短波のダイポール型空中線、屋上に張りめぐらせた線は長波のロングワイヤー型空中線だろう。無線設備はここに入居する戸畑漁業無線協会の戸畑漁業用海事局のもののようだ。
竣工から70年以上が経過した。雑居ビルに落ちぶれたとはいえ、戦前の民間事務所ビルがいまだ現役なのはすばらしい。同年竣工のマルハ下関支社が老朽化により閉鎖されたため、旧共同漁業ビルは戦前竣工の稼動中の民間事務所ビルとしては関門都市圏で最大になる。
2008年9月22日作成
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