2011年1月21日更新
旧三井物産門司支店 駅前広場側(北側) 2010年10月
旧三井物産門司支店 南側 2010年10月
裏側 門司港駅側面に車寄せを造成したため、現在は丸見え 2010年10月
表玄関 浮彫りは設計者の友人、安喰たかのぶの作品 海の女神を表す 2010年10月
モルタルが剥げた部分に竣工時のタイル張りが覗く 2010年10月
旧三井物産門司支店は、三井財閥の中核企業、三井物産が1937年に大陸貿易の拠点として開設した事務所。三井財閥は太平洋戦争を挟んで10年後の1947年に米国占領軍(GHQ)が占領政策の一環として解体した。
三井財閥の解体により、三井物産門司支店(や同社の社交場だった門司三井倶楽部)は売りに出され、1949年に国鉄が買い取った。以降、建物は国鉄九州総局などを経て、JR九州第一庁舎(本社)に。しかしJR九州は本社を市外へ移転し、残った北部九州地域本社も2001年に西小倉駅前の新築ビルに移転した。
設計者の松田軍平(1894-1981)は直方出身。父が三菱の鉱山技師で、直方赴任中に生まれた子だ。コーネル大学で建築を学び、アメリカの建築事務所で2年働いた後に帰国して、三井本館の監理副主任に抜擢された。1931年に松田建築事務所(現、松田平田設計)を設立し、日本建築家協会初代会長ほか、業界の要職を歴任した。
三井物産門司支店はアメリカ合理主義に則った事務所ビルとして仕立てられた。当時は西日本一の高さを誇ったという。「竣工時はタイル張りで、上下の窓の間と窓台は黒花崗石張りだった」(イナックス)が、戦火を消すためか全体にモルタルが吹き付けられた。薄化粧の裏側はモルタルが剥げて、下地のタイルが覗いた部分がある。
造形は合理主義ゆえに個性的とはいえないが、残存する戦前の事務所ビルとしては規模が大きく、希少価値がある。全体に石造風で彫りが深く、堅牢な印象は商社にふさわしい。幅広の柱型を頂部で内側に折り曲げ、単調な形状にやわらかさを与えた。黒花崗石で造った門の字の表玄関や、玄関上を飾る浮彫りは竣工時のままだ。
内部は国鉄九州総局~JR九州時代の信号通信司令部の設備がそのまま残っており、産業技術史的に重要な遺産という。
道路向かいに移築した旧門司三井倶楽部(1921)はかれの兄、松田昌平の作品。松田兄はここ門司港を拠点に活動した建築家だった。80年を経て兄弟が三井物産のために設計した建物が揃ったと囃し立てる人がいるが、オフィスビルとペンションが向かい合う様子を見れば、兄も弟も「こんなはずではなかった」と嘆きそうだ。
JR九州は2002年に建物を破壊して駐車場にする方針を打ち出した。北九州市は歴史的建造物の有効活用を同社に要請したが、JR九州はこの地を見切って逃げ出した企業だから、色よい返事を返すわけがなかった。
結局、北九州市が2005年12月に浜町の市有地と等価交換する方式で建物を取得した。市は門司港レトロの観光案内施設へ模様替えしたい考えだが、5年が経過した現在も恒久施設としての活用法は決まっていない。
2006年4月30日作成、2011年1月20日更新
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