2008年10月5日更新
マルハ下関支社 2006年2月
下関駅西口に面した表玄関
マルハは1904年に創業者・中部幾次郎が家業の鮮魚仲買運搬業の本拠地を明石から下関に移し、捕鯨業・トロール漁業に進出したことにより興る。1924年に林兼商店として株式会社に改組、1943年に西大洋漁業統制と社名変更、これが気に入らず1945年に大洋漁業と社名変更した。
下関の事務所は林兼商店の本社として建設した。「捕鯨母船が南極海に初出漁した際は、同ビルの社長室から中部幾次郎が無線で指示を出した」(読売新聞)という。大洋漁業は1949年に本社を東京へ移し、下関の本社は支社に降格した。「マルハ」と社名変更したのは1993年だった。
マルハは本社移転の見返りにプロ野球の大洋球団(現在の横浜ベイスターズ)を下関で設立したが、その球団も6年後の1955年には川崎へ移転した。下関では期待させておきながら撤退するという行動を繰り返した経緯があり、市民のマルハを見る目は冷めている。
建物は下関駅西口(裏口)の正面にあり、玄関面こそ小さいが、国道191号沿いに幅広の側面を向ける。駅前立地というよりは、下関漁港の一等地だ。当時の大企業の本社だから、戦前の事務所建築にしては大きい。外観は縦長窓を除けば現代の中規模事務所ビルと同じ形。ごく自然に町並みに溶け込む。
2008年にひっそり閉鎖され、所有者のマルハニチロホールディングスが売りに出した。建物は老朽化し、耐震基準を満たしていないことから、売却されれば解体撤去されそうだ。好立地のため用途はあれこれ考えられる。下関市は「市が購入して保護措置を講じるのは困難」(読売新聞)という。
2006年6月19日作成、2008年9月23日更新
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Maruha Simonoseki Branch (Former Taiyô Gyogyô Headquarters)