2010年11月3日更新
福岡ひびき信用金庫門司港支店 2005年6月
特徴的なトンネル風の玄関 2005年6月
桜町通りに移転新築した似非レトロ 2010年10月
門司信用金庫本店は、1930年に旧門司信用組合(後に門司市信用金庫→門司信用金庫)の本店として建設された。門司信金は2003年に他3信金と共に福岡ひびき信用金庫に大同合流し、旧本店は門司港支店に降格した。福岡ひびき信金は2008年4月に桜町通りに新店舗を新築、旧本店は2005年5月に破壊された。
信金支店はこじんまりしたのが多いが、これは元が門司信用金庫の本店だから、そのへんにある地方銀行や都市銀行の支店より大きい。写真では外壁がモルタル塗りになっているが、以前はタイル張りだった。玄関のトンネル風の大きな庇が特徴で、その上の3組の窓も円弧アーチ風に外壁を塗り分ける。ややおどけた印象を受ける。
トンネル風の玄関は昭和20年代(1945-55)の改修増築によるものという。地元金融機関として関門国道トンネル開通の願いを込めたようだ。関門国道トンネルは1939年に着工したが、第二次世界大戦中に米軍の爆撃により壊滅、供用は終戦から13年後の1958年だった。
切り込みのような細い上下窓用の窓枠に煉瓦造の名残りがある。初期の鉄筋コンクリート造は煉瓦造の手法がそこかしこに見受けられるが、これは煉瓦造を愛惜したからというよりは、構造材が鉄筋コンクリートに変わっても、窓などの汎用品はすぐに入れ替わらなかったからだろう。
旧門司信金本店の解体を知らされたときは愕然とした。解体に先立つ1年前に門司港支店が移転した件に関しては、立地条件が半世紀前と比較して悪くなったのだから仕方がないと思った。戦前の街なかは、いまでは街外れだ。建物は静態保存するか、NTT門司営業所のように記念館として開放すると考えていた。
似非レトロを新築すれば、戦前の文化財を破壊してよいのか。立地が問題なら、同時期に破壊された西日本シティ銀行門司港支店を取得すればよかった。一方が救えなくても、もう一方は救えたはずだ。門司港では都市銀行が撤退した後に地方銀行が入居する建物の使い回しが行われていた。西日本シティ銀行門司港支店や福岡銀行門司支店がそうだった。
よその銀行ならまだしも、地元金融機関、それも地元密着が存在意義である信用金庫、「この街と生きてゆく」とポスターを掲げた福岡ひびき信用金庫が、門司港レトロの破壊に加担するとはよもや思わなかった。この一件で門司港レトロの街づくりが完全に信じられなくなった。
2006年1月3日作成、2009年5月13日更新
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