2008年05月03日更新
村野藤吾は宇部とは縁の深い建築家だ。出世作となった渡辺翁記念会館(1937)によって宇部興産の全幅の信頼を獲得した村野は、1939年から1953年の間に、山口銀行宇部支店(旧宇部銀行)、宇部興産ケミカル工場事務所(旧宇部窒素工業)、協和発酵(旧宇部油化工業)、宇部興産中央研究所、宇部興産事務所と、宇部の主要な建築を次から次へと手がけた。
宇部興産は宇部に都市としての基盤を築き、村野藤吾は宇部興産の建物を設計することで宇部の都市景観の方向性を決定づけた。両者は宇部の都市形成を考える上で、欠かすことのできない存在だ。
山口銀行宇部支店(旧宇部銀行)は、村野が渡辺翁記念会館の次に設計した建物。角を切り落として玄関を設け、両翼の側面を対称的に広げて、1・2階の窓を組にする。近代銀行建築の雛型そのままだが、村野はこの支店建築に見られるように、近代の雛型を現代感覚で洗練・簡素化するのを得意とした。
ただ、村野は一辺倒ではない。同じ雛型を用いた福岡ひびき信用金庫(1971)と宇部全日空ホテル(1983)では、前者が装飾的なのに対し、後者では機能性を重視した。
山口銀行は宇部支店の建物が老朽化したため、2006年12月に隣接地の新店舗に移転した。市民グループは藤田市長に対して村野建築の保存を求める要望書を提出したが、市長は「保存するには改修が必要となり、維持管理費もかかる」(宇部日報)と渋い意見だった。
しかし宇部市は紆余曲折を経て2007年11月に開催した市議会都市建設委員会で建物を保存する方針を固めた。「『宇部の経済発展の一端を担った貴重な歴史的財産』と位置づけ、活用法については『市の歴史展示スペースと市民から公募したアイデアで』としている」(宇部日報)。
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