2008年10月5日更新
大手町へ移転した永照寺 本堂
永照寺は、浄土真宗本願寺派に属する寺院。釈道證が明応4年(1495)に小倉・室町で開基した。道證は豊前蓑島の塁を預かる武将で、応仁の乱(1467-77)に加わり、摂津国川中島の戦で傷を負って療養していたときに巡化中の蓮如上人(1415-99)と出会い、出家して弟子になったという。
細川忠興が小倉城を築城した後の1608年に室町から米町へ移転し、文化年間(1810年頃)に本願寺の御坊となった。永照寺は領主の崇敬保護が厚く、庶民にも好かれて大いに振るった。
1991年の小倉駅前東地区市街地再開発事業により米町から大手町へ移転。小倉駅前の再開発話が出たのは1969年のことだが、「駅前に寺は不要」とした北九州市(谷市長)と、それに激昂した永照寺が激しく対立して駅前再開発は難航した。事態が打開したのは末吉市長が登場した1987年以降だった。
現在の本堂は5代目に当たる。入母屋、平入り、流れ向拝付は寺院建築の定番。同じような寺は日本中のそこかしこにある。しかし永照寺は棟が高く、屋根の弓なりから流れ向拝へいたる反り曲線がきれいで、やけに格好がいい。
大手設計会社が図面を引いた新築のように見えるが、内部の柱・梁のほとんどは弘化年間(1844-48)に建立された4代目の資材を移築したという。柱や梁が再利用なら、建物の骨格は4代目と同じということだろう。
2007年9月2日作成
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