2005年05月21日更新
小倉城は、南蛮造りの名城として知られる。天守閣は4階と5階の間に屋根の庇がなく、5階が4階よりも大きいのが特徴だ。細川忠興の居城として1602年に築城を始めた。1837年の火災で全焼したが、2年後に天守閣を除いて再建した。幕末の1866年に長州藩との戦争で敗退し、自ら城郭に火を放って炎上させた。
現在の天守閣は城内・大手町の米軍接収が解除された2年後の1959年に魚町商店街などが資金を拠出して築城した。このころの小倉は西日本最大の商業地として絶頂期にあったが、すでに暗い予感があった。小倉の魅力を高めて客寄せするために天守閣の再建を思い立った。
歴史的建造物の復元が目的ではなかったため、構造が鉄筋コンクリート造になったほか、千鳥破風を加えるなどして外観も史実より派手になった。内部は大胆な展示空間として利用する。
小倉城は見目秀麗な城だが、実際に訪ねた観光客の評判は思しくない。天守閣は上記の体たらくだし、城壁の櫓なども実は神社や茶屋などが城にあやかって建てた模造品だ。歴史愛好家でなくとも、万事が胡散臭いと察せる。2004年4月から三セクに代わって井筒屋が管理を受け持つ。
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Kokura Castle