2008年8月23日更新
関門都市圏(関門北九州地域)は、宇部小野田、豊関、北九州、宇佐中津、嘉飯山の五つの生活圏に、田川、美祢および宗像地域を加えた広域都市圏である。下関市と北九州市を中心として、周囲に旧産炭地をめぐらせた地域であり、わが国の近代化と工業化を先導した。
下に示した地図の枠組みは、国土交通省の地方拠点都市地域および都市・地域レポートの定義、九州山口経済連合会の定義、金本良嗣・徳岡一幸教授らの都市圏設定基準に加えて、平成の大合併による市町村の再編成を考慮した。上位自治体(県)による枠組みを持たないまま山口、福岡、大分の三県に広がった異色の都市圏で、非県都の中核都市圏としては日本最大の集積を有す。
国土交通省が定義した北九州市と下関市を中心市とした5%都市圏(追加条件付の5%通勤圏)を下に示す。もっとも、統計が取られた2000年時点とは市町村の枠組みが大きく変わったため、数字を洗い直して現在の市町村の枠組みによる範囲を出した。色分けは各生活圏の10%直接通勤圏を示す。
国土交通省の定義では、宇部市と山陽小野田市は宇部都市圏を形成する。宗像市、福津市、飯塚市は北九州市の直接通勤圏にあるが、福岡市への通勤者数のほうが多いため相対的に除外される。中心市の勢力ならびに隣接都市圏との力関係によって括られた枠組みであり、周辺にある生活圏の範囲は尊重されない。
中国経済連合会と九州経済連合会が定義した経済圏を下に示す。両連合会が合同して設置した関門連携委員会は、宇部市、下関市、北九州市にある会員企業によって構成することから、宇部都市圏が合流したのが特徴である。田川生活圏の全域が含まれる一方、大分県境がにわかに意識され、中津市が枠組みから外れた。
10%通勤圏を分割できない基礎的な生活圏として、これに国土交通省の5%都市圏の定義を覆い被せた広域都市圏の枠組みを下に示す。生活圏の中心市が広域圏の中心市の5%都市圏にある場合は、広域圏の範囲と見做す。
隣接都市圏との力関係により弱含むのは、山口県央都市圏との重複地域になる宇部小野田生活圏とその二次圏となる美祢市、福岡都市圏との重複地域になる宗像生活圏と嘉飯山生活圏である。
関門の歴史は古い。しかし伝説や真実が明らかでない出来事などを除けば、この地方の歴史的な第一歩は西暦725年の宇佐神宮創立であろう。宇佐神宮は古代日本の宗教的支配者として中央権力を掌握するとともに、現在の国東半島、宇佐中津、田川、北九州、宗像地域を古代の段階で一つの地方にまとめた。大内氏の時代になると、周防の勢力が関門海峡を越えて北九州を制圧することになる。
近代のエネルギー革命は筑豊地域と宇部地域を勃興させた。北九州市は、筑豊炭田を背景として重工業化した西部地域と、近世からの強大な都市基盤を持つ下関市が関門海峡を越えて新展開をみせた東部地域が、大都市化の過程で自然融合したわが国最初の近代都市である。双方の勢力が衝突して拠点化したのが小倉で、現在は都心を形成するに至った。このような成立過程を経た大都市は世界的に見てもめずらしい。
関門は戦前から終戦までの帝国主義の時代は、大陸植民地への表玄関にしてわが国の国土軸の中心地、さらに「西部」(中国地方と九州地方に分かれる前の関西以西)を束ねる中枢拠点として繁栄を極めた。関門は、東京、大阪に次ぐわが国の最重要拠点であり、金融、貿易、商業、文化の中心地であった。筑豊炭坑や北九州工業地帯の発達は関門に近代産業の集積をもたらし、関門の優位性を飛躍的に高めた。
しかし戦後は大陸植民地が独立して立地の優位性を失った。それだけではない。「西部」の枠組みが中国地方と九州地方に分解され、西部の中枢機能は2分割されて広島や福岡へ移転した。足元では県単位の統制経済が敷かれ、経済活動は県単位に再編されて県庁所在地が中心地になった。これは関門からの機能流出を強制しただけでなく、関門海峡を跨いだ経済単位を否定した。
中枢機能喪失による負の影響は戦後復興期の北九州工業地帯の拡大により覆い隠されたが、石炭産業が衰退してエネルギーを輸入に頼るようになり、産業においても立地の優位性を失うにいたって、ついにその惨状を隠し切れなくなった。1962年に全国総合開発計画が策定され、弱り目の北九州工業地帯に足枷をはめたのも大打撃であった。産業機能は苅田や周南、大分へ拡散して、西瀬戸内や東九州の浮揚に与したが、関門の凋落は決定的になった。
関門都市圏は上位自治体による枠組みを持たず、中国地方と九州地方を跨いで3県に引き裂かれるため、現在でも制度上の不利益がはなはだしい。県の実態は県都の広域都市圏庁であり、県都を中心都市とした枠組みが前提にある。「主権は他人の財産を合法的にピンハネする権利」と言ったのは春山昇華氏だが、この地方の沈滞の根源は産業構造転換の失敗にあるのではなく、県単位経済の徹底により中枢都市としての主権を奪われたことにある。
関門都市圏は現在の都道府県制度とそれに追従する県単位経済が続く限り、求心力を発揮することができない。議論が活発化してきた道州制への期待は高いが、地方制度調査会の区割り案は3案とも関門海峡に境界線を引くなど、われわれを深く失望させる内容になっている。下関市と北九州市はそれぞれが山口県と福岡県から離脱して、道州と同等の権限を持つ関門特別市を創設したい考えだが、これが失敗に終わった場合は中国州と九州の谷間にある僻地へ堕落して都市圏が解体しよう。
生活圏 | 中心都市 | 二次圏の核 | 自治体数 | 人口 | 面積(km2) |
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宇部小野田 | 宇部 | - | 2 | 249,830 | 420.56 |
美祢 | 美祢 | - | 1 | 18,747 | 228.25 |
豊関 | 下関 | - | 1 | 302,954 | 715.83 |
北九州 | 北九州 | 行橋、直方 | 14 | 1,423,247 | 1,231.48 |
宇佐中津 | 中津 | 宇佐 | 6 | 219,030 | 1,315.44 |
田川 | 田川 | - | 8 | 148,335 | 363.65 |
嘉飯山 | 飯塚 | - | 3 | 200,932 | 369.38 |
宗像 | (北九州、福岡) | - | 2 | 147,911 | 172.31 |
広域都市圏 | 人口 | 面積(km2) | 密度(km2) |
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那覇 | 970,000 | 285 | 3,400 |
鹿児島 | 540,000 | 127 | 4,250 |
熊本 | 675,000 | 130 | 5,200 |
長崎 | 460,000 | 78 | 5,900 |
福岡 | 2,225,000 | 583 | 3,800 |
大分 | 410,000 | 148 | 2,800 |
関門(北九州、下関) | 1,800,000 | 1,166 | 1,550 |
山口 | 475,000 | 285 | 1,650 |
広島 | 1,325,000 | 285 | 4,650 |
福山 | 500,000 | 168 | 2,950 |
岡山 | 650,000 | 114 | 5,700 |
倉敷 | 400,000 | 130 | 3,100 |
関西(神戸、大阪、京都) | 17,250,000 | 2,720 | 6,350 |
名古屋 | 9,175,000 | 3,302 | 2,800 |
浜松 | 800,000 | 117 | 6,850 |
静岡 | 700,000 | 104 | 6,750 |
首都圏(東京、横浜) | 34,250,000 | 7,835 | 4,350 |
新潟 | 800,000 | 223 | 3,600 |
仙台 | 1,250,000 | 337 | 3,700 |
札幌 | 2,125,000 | 648 | 3,300 |
年 | 天気(日) | 気温(℃) | 平均湿度 (%) |
年間降水量 (mm) |
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晴 | 曇 | 雨 | 雪 | 平均 | 最高 | 最低 | |||
観測地:下関気象台 | |||||||||
1986 | 42 | 132 | 132 | 30 | 15.7 | 34.0 | -3.2 | 70 | 1686 |
1999 | 23 | 146 | 131 | 16 | 16.9 | 32.2 | -1.6 | 69 | 1660 |
関門北九州地域は気候区分の要所であり、響灘側は日本海型、周防灘側は瀬戸内海型、西部は九州型の特徴を示す。中でも北九州・下関市は関門海峡の影響から霧が発生しやすく、日照時間が極端に短いなど独特で、北九州気候区と区分することがある。
周防灘側は一年を通して晴れの日が多い。響灘側は冬場に荒れるため、埋立事業などは冬場は工事を行わない。下関気象台のデータは寒暖差が小さいが、これは測定地点が関門海峡の水際にあるからである。
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