2007年1月1日更新
「団地」という言葉から連想されるのは工業団地か住宅団地だろう。くりえいと宗像は日本ではめずらしい商業団地である。この形態の商業地はアメリカでは郊外都市の中心部などで見かける。日本でもこんな団地が雨後の竹の子のように生い茂ってもよさそうだが、日本では為政者が街なかの延命策に躍起で、その脅威となる商業団地を頭ごなしに否定する。
駅前に勘違いなハコモノをぶっ建てても、一時しのぎのカンフル剤にしかならない。駅前再開発ビルは時代が要請する社会資本ではないから、消費者の動向に敏感な民間業者は箸にもかけない。それぞれが思い思いに幹線道路沿いを乱開発し、結果として魅力に乏しい漫然とした沿道型商業地(ロードサイド街)が形成される。
漫然としていても街なかのように終わっているわけではないから、消費者の足は必然的に郊外へ向く。当世風に言えば、負け組の街なかに対しては勝ち組だから、ますます街なかが衰えて郊外が勢いを増す。消費者が望んだことである。それでいて、消費者は駅前の大型店が潰れると嘆くのだ。
黒崎がよい例だろう。コムシティの営業中は足を運ばなかったのに、いざ潰れると黒崎はもうだめだだめだ市長なんとかしてくれと泣きすがる。しかし民間業者は冷ややかなもので、すぐそばでフレスポ黒崎やイオン八幡東ショッピングセンターを開業させる。為政者と消費者、どちらが悪いとは言えないが、この悪循環を放置したままでよいはずがない。
宗像では大動脈となる国道3号が3種1級の高速道路に準ずるバイパス道路で、沿道に防音壁をめぐらせ、出入口(ランプ)を介して市街地と連絡する。本来ならば、宗像でも国道沿いが乱開発されて一大ロードサイド街になったろう。ここでは物理的な制約からそれがかなわなかった。住宅衛星都市ゆえに守るべき中心市街地もなかったことが、日本ではまれな商業団地を形成するきっかけとなった。
くりえいと宗像は土穴須恵土地区画整理事業による造成地である。調べても分からなかったのではっきりしたことは言えないが、造成段階では工業団地だったのではないか。地図を見る限りでいえば、典型的な工業団地の器である。進出企業がなく商業団地に鞍替えしたのだと思うが、商業団地として構想したのなら、宗像市は先見の明があった。
くりえいと宗像は中央地区のサンリブくりえいと宗像店を核として、南地区に18の独立店舗、北地区に17の独立店舗を配す。北地区には6医院からなる医療区画も設ける。配置計画は工業団地のそれと同じだと考えてよい。3000台の平面駐車場の海の中に店舗という島が浮かぶ。
商業団地は一種のパワーセンター(家電、衣料、玩具などの業種別一番店を集めたショッピングセンター)といえるが、これを閉じた敷地内ではなく既成街区で展開させたところが、くりえいと宗像の特徴だ。街区での展開は自治体がまちづくりとして協力する必要があり、日本では業者のみで開発できるオープンモール(敷地内の共用駐車場を中心に独立店舗を集めたショッピングセンター)から抜け出すのは難しい。
団地の入口(南地区)までは赤間駅北口から約700m。自動車客が相手であり、歩いてくる客は考慮にないが、電車で通勤する類いの人間なら歩けない距離ではない。
中央地区はサンリブくりえいと宗像店が立地する。サンリブは売場面積2万2000㎡のショッピングセンターで、狭義ではサンリブ直営店と80の専門店で構成する1核1モールの共同店舗、広義ではサンリブくりえいと宗像店とその周囲に立地する41独立店舗・医院からなる1核1オープンモールの商業地である。
鹿児島線の反対側にあるゆめタウン宗像店までは南地区の入口から車で1分程度だから、2核の商業地ともいえる。実際、くりえいと宗像とゆめタウンのあいだは頻繁に往来があろう。ただ、隣接地に陣取っただけの両者をもって2核というのは、都市計画を論じる上では憚られる。
南地区と北地区を比較した場合、店舗構成にやや違いがある。南地区がもっぱら飲食店街なのに対し、北地区はもっぱら物販店街になる。華やかな印象を与える飲食店を入口に多めに集め、比較的地味なホームセンターなどは奥の地区に集める。
この商業団地は大きくはない。くりえいと宗像を10万都市の中心商業地と見做すなら、最低でも現在の倍の規模がほしかった。そこまで思い切ったまちづくりをやれば日本中の話題をさらったろう。ここはショッピングパークの域を出ない。商業団地と紹介したのは、この街の素地のよさを買ったからである。
くりえいと宗像にある独立店舗は、郊外の道端にあるのと同じ店舗(ロードサイド店)である。ここの際立った特徴は、ロードサイド店が一般道路や基幹道路ではなく、区画道路に面して立ち並び、文字通り団地をなしていることだ。
同じ郊外商業地でもロードサイド街と商業団地では天地の違いがある。ロードサイド街は乱開発の産物で、民間業者が集客力のある道路沿いに進出した結果、商業地風の活況を呈しただけだ。区画道路に店が進出することはなく、街が厚みを持つことはない。線形上の展開は通過される街でしかなく、集合体としての固有の求心性(アイデンティティ)は持たない。
商業団地は一団の集合体であり、区画道路にも車が入ってくる。すなわち、二次元で店舗を配置できる。街に厚みが加わるだけでなく、回遊性が生じる。回遊性すなわち滞在であり、滞在者が多い場所は賑わいが備わる。賑わいのある場所は人の認知を受ける。かつての都心がそうであったように、固有の求心性を有す。事実、くりえいと宗像は宗像市民に「中心商業地」としての認知を受けている。単なるロードサイド街ではありえない。
ただ、ここに関していえば不安もある。一事業者による閉鎖的なショッピングパークは一過性で終わる可能性が強い。くりえいと宗像はこの型に該当し、自律的な世代交代ができない場合は、長持ちする街にならない。
人間が徒歩で行き交う街が旧来の街なかなら、商業団地は車社会の街なかである。商業団地は移動体が人間から車へ変化しただけで、基本的に旧来の街なかと変わらない。人と車では図体が違うから、商業団地は必然的に大ぶりな街になる。
たとえば魚町商店街。うなぎの寝床に店舗が連なるのは、人が歩いてゆきながら興味や関心を持続させられる間口の広さにするためである。仮に奥行きと間口を取り替えて延長5キロの商店街になれば、人間は歩いてゆけないし、歩く前から嫌気が差して座り込む。
では、車から見ればうなぎの寝床はどうなのか。十分に速度を落としても、目まぐるしく両側の店が後方へ流れ去り、なにがなんだか分からない。人と車では距離を計る物差しの長さが違う。
都心が郊外に対抗するためには駐車場が必要だろう。しかし、きょうび車から降りたがらない人間が大多数という事実を見逃すわけにはいかない。図体の大きくなったお客様(=車)は、駐車場があっても自動車スケールでできていない街には関心を示さない。
車社会の街なかを形成するには、容積率や建蔽率は低いほうがよい。商業地すわなち高度利用というのは旧世代の街なかの発想であり、移動能力に秀でた自動車を相手にしたまちづくりでは通用しない。
車社会でものを言うのは敷地面積である。30m間隔で独立店舗が並ぶのが車にとってもっとも認識しやすく、安全かつ手軽にぶらぶら遊べる「商店街」であり、そこに大型ショッピングセンターでもあれば中心性が備わる。車は後方移動が困難という弱点があるから、商店街は線形であってはならず、輪をなすか網の目の構造を持つ必要があろう。
車社会を否定する人は理想主義者が多い。理想を抱くのは結構だが、実行できない理想は現実逃避であり、度が過ぎると旧弊に他ならない。
郊外を拒絶して都心を延命してきたのが過去30年の地方だった。その結果、どういうことになったのか。北九州市は過去30年間の人口が一定なので、北九州を例に取れば状況が分かりやすい。
北九州市の人口集中地区は1965年から2000年の35年間で約2倍になった。莫大な費用を投じて自然を破壊し、道路や上下水道を整備して市街地を広げてきた。今後の人口減社会では持続不可能な市街地である。
市民は使い捨てられる希薄な市街地を自動車で縦横に走り回って環境にも負担をかける。ドラッグストアとスーパーをはしごするのに何キロ、わたしなどは何十キロも移動する。ところが為政者はというと、あいも変わらず「公共交通機関を使いましょう」「パークアンドライドを実行しましょう」などと寝ぼけたことをいう。理想を夢見て正反対の都市の出現させた罪は小さくはない。
都心が旧態に安住して生まれ変わる努力を怠ったから、市民は都心を捨てて郊外に新しい街を切り開いた。パークアンドライドを実行するくらいなら職場を郊外へ移す。都心にバスで買い物に行くくらいなら近場のショッピングセンターで楽しむ。車社会を非難するのではなく、車社会と折り合いをつけなければならない。時代の趨勢は振り子のように元の位置には戻ってこない。
高齢化社会も車社会を加速させることはアメリカの事例を引くまでもなく、日本の中小都市を見れば明らかだろう。鉄道やバスなどの大量輸送機関は再評価されない。大量輸送機関がふたたび脚光を浴びるのは、国民総免許の世代がお年寄りの仲間入りをするまでの短期的な振り戻しに過ぎない。
将来のお年寄りが定年と同時に免許を返納すると本気で考えているのだろうか。お年寄りは元気はうちは車を運転するし、足腰が弱ればますます車に依存する。車を運転するほうが公共交通機関と徒歩で移動するよりも身体的負担が少ないからである。車が運転できなくなったときは、在宅サービスを受ける立場だろう。「元気なお年寄りが街を闊歩する」という確信はどこに根拠があるのだろうか。現実にはありえない話である。
寿命尽きた旧世代が自然淘汰されないのが問題だ。先日北九州市では市議会選挙があったが、候補者は共産党から民主党から自民党まで押しなべて商店街の活性化を謳った。
消費者は選挙に関心がなく、商店街は一票を投じる大事な有権者である。為政者は商店街の言いなりにならないではいられない。しかし為政者が商店街に庇護を与え、かれらのあり方を容認するから、都心はいつまでも世代交代することができない。為政者は旧世代が安らかに召されるように手助けすべきであり、次世代に郊外への退散を命じ、都市の解体に加担すべきではない。
消費者は郊外商圏に安住している。かれらが郊外の利便性を享受しつつ、一方で駅前の大型店が潰れると嘆くのは、「ほら、ここがわが町の中心地だよ」と言える求心性や象徴性、あるいは都市の「格」を欲しているからだろう。街なかは基本的には変わる必要がない。しかし町を行き交うのは人ではなく車になった。アーケードの商業者は通りに人がいないのを恨むのではなく、巨体になったお客様に合わせる努力をしなければならない。小人の町に巨人は入れない。
旧世代に与した市街地再開発ビルは求められていない。駅前が一等地というのは懐古であり、駅前を高度利用しても大勢が寄りつかないのは小倉駅前のセントシティや黒崎駅前のコムシティをみれば分かるではないか。自動車に敬遠されれば主流から外れる。ニッチが相手では巨額の再開発ビルはペイしない。駅前が多数の歩行者で賑わう時代は二度と帰ってこない。旧来型の駅前再開発はもう完全に行き詰まっている。
ハコモノは民間業者に任せておけばよい。都市の「格」を備え、自動車で集える次世代のまちづくりが望まれる。イオンやドンキホーテが好んで進出したくなるような広い用地があるだけでなく、地元の商業者も自由に店を構えられる拡張可能性を秘めた新しい街区を街なかに出現させる必要がある。
広大な遊休地を市街地に抱える北九州では不可能な話ではない。福岡のように上出来な旧世代の都心(=天神)があると見切りをつけるのは難しいが、北九州は旧世代のまちづくりで大失敗し、執心しなければならないような都心は存在しない。昨日の強みは今日の弱みであり、今日の弱みは明日の強みになる。
折りしも東田ではテーマパークと大型商業施設を組み合わせた大きなまちづくりが始まった。次の時代は次世代に順応した先駆者が制す。そして、自動車スケールの大規模商業団地は、求められながらも未だだれも手をつけていない社会資本なのである。
撮影 2005年1月6日 | 文 2005年2月5日
Create Munakata and the fufure of commercial district