2010年10月16日更新
北九州初の地域高規格道路、都下到津線が開通した。道路は延長1170m。北九州都市高速道路1号線下到津ランプと、国道3号戸畑バイパス都二丁目交差点を結ぶ。二階建て構造であり、本線は地下をトンネルで貫き、地区内道路はトンネル上の地表を通る。道路新設は「自動車専用道路ランプ10分圏の拡大」施策の一環ということだが、もともとは都市高速1号として計画された自動車専用道路だった。総事業費も175億円と延長の割に大きい。
地域高規格道路は、高規格幹線道路(九州自動車道など)を補完し、一般国道(戸畑バイパスなど)よりも上位に位置づけられた道路をいう。4車線以上の車線を確保し、自動車専用道路もしくはこれと同等の高い規格を有し、設計速度が60~80キロの道路として整備される。
2005年9月現在、関門都市圏で開通済みなのは、若戸大橋、北九州都市高速道路、都下到津線の3路線。前二つは地域高規格道路という仕組みができる以前の道路だ。開通予定では、下関北バイパス、新北九州空港連絡道路、黒崎バイパス、新若戸道路の4路線がある。未着工の計画路線では、下関北九州道路、新門司港都市高速連絡道路、小倉駅北口連絡道路の3路線がある。
都市高速1号は本来、中央公園を貫通して枝光本町へ抜け、黒崎バイパスに接続する計画だった。しかし黒崎直通計画は丘陵市街地の下にトンネルを通す必要があり、工事が難しく費用も莫大になる。そこで、都市高速1号の延伸を凍結、大谷から戸畑に抜ける都市高速5号を新たに計画し、環状線に計画変更した。都下到津線の区間は土地収用が進んでいたことから、地域高規格道路という新たな仕組みを利用して救済した。
都市高速5号の未着工区間(枝光―若戸間の約5.2キロ)も都市高速全体の交通量の伸び悩みを受けて2004年に凍結されたが、北九州市はこの区間を都市計画道路 戸畑大谷線(戸畑枝光線)として建設する意向だ。都下到津線と同じような無料の地域高規格道路になる可能性が高い。採算区間が有料道路として恒久化される一方で、不採算区間が無料道路になるのだからおかしな話だ。
北九州の高速道路網は運営団体が一本化されておらず利用しにくい。北九州市は道路公団の民営化に伴って2005年末に若戸大橋と新若戸道路を管理する北九州市道路公社を設立するが、自前で道路公社を設立するのなら、北九州都市高速道路の運営も福岡北九州市高速道路公社から譲り受けて料金体系を一本化したい。二公社運営はかつての旧北九州道路と北九州都市高速道路の二本立てのようなもので、規模効果が働かない。
下到津ランプは都市高速と同規格だから、無料道路になったからといって設計変更はない。写真1枚目は都市高速1号と都下到津線の連結部。手前が都市高速1号の片側ランプ、奥が都下到津線の片側ランプで、説明されなければ普通のダイヤモンド型ランプにしか見えない。
写真2枚目は都下到津線の下到津出入口。高架道路は都市高速1号の直通、ランプは都下到津線本線(下層道路)の出入口、左外側道路は丘なりを通る地区内道路(上層道路)の出入口。初見でためらわず混乱もなくランプを上がって行ける人はなかなかの太っ腹だ。
反対側の戸畑バイパス都二丁目交差点は図らずも終点になった。こちら側は設計に大きな変更があったようだ。街なかに場違いなトンネルが穴を空けて、都市高速の道路標識もあるため、一般車両には入りづらい雰囲気がある。トンネル両翼は地区内道路。この道路は都二丁目交差点を取り囲むように輪を成して互いが繋がる。本来はまっすぐ中央公園へ伸びて行きたかったろうが、その必要はなくなった。
到津トンネルは両側の出入口付近が開削トンネル(構造物を構築後に埋め戻す工法)、中央部が新工法のNATMトンネル(280m×2)で、縦3×横2のトンネルの組み合わせた構造を持つ。出入口付近で大きく南へ曲がり、中央部は緩やかに南へ曲がる。都側からトンネルに入る場合は、追越車線が都市高速直通だ。
NATMトンネルは住宅地である地表面からトンネル天端までの深さが2~20mと浅く、2本のトンネルの間隔が1m以下という超近接で、日本初の無導坑方式を採用するなど難工事だったそうだ。このNATMは前田共同企業体が工事した。上の写真がNATMトンネル、下の写真が開削トンネルとNATMトンネルの継ぎ目になる。
地下を通る本線の真上に地区内道路が通る。写真は都一丁目から下到津方面。高低差のある丘なりに二車線+両側歩道の道路を建設中で、写真では正面右に西南女学院が見える。なお、本線は自動車専用道路だから歩道はない。地区内道路の沿道では土地区画整理事業を併せて実施しており、開通はまだ数年先だろう。本線よりも地区内道路のほうが開発余地があるだけに有意義な事業といえるが、無駄なものが先にできるのが世の習いだ。
開通はまったく話題にならなかったが、都下到津線は北九州市の都市再編の象徴であり、重要な転換点でもある。従来の小倉―黒崎間の線形都市軸の断念をこの道路が示している。
北九州市は小倉と黒崎が磁石の同極のように反作用し、市街地が東西に分裂して中央部が空洞化する危機的状況にあった。小倉―黒崎間の都市軸強化こそが北九州市の絶対条件であり、物理的にも心理的にも相互の連結を強める必要があった。一直線に小倉と黒崎を結ぶ高速道路には、その象徴としての役割もあった。
ところが前提が根こそぎ崩れた。東田周辺に広大な遊休地が発生したからだ。北九州市は無駄に冗長な既存軸を強化するよりは、都市構造を凝縮させて機能分化する方向に動いた。都市高速もこれに合わせて線状線から環状線に形を変えた。念頭にあったのは都市間競争だろう。代わり映えのしない小さな街がいくらあっても競争に勝てない。高度に機能を集積させなければ生き残れないのだ。
現在戦略的に都市機能の強化が図られている小倉―戸畑―東田の環状都市軸は「閉じた環」であり、発散しない堅牢な構造だ。将来の北九州市は、地域がそれぞれに機能分化し、全体としては一体的な求心力を持って他の都市圏と対峙できる存在になろう。
2003年7月・2004年9月撮影、2003年7月20日作成
Miyako-Simoitôzu Route