2010年12月23日更新
北九州市内各地で見かける巨大な鉄鋼彫刻は、1987/1993年開催の「国際鉄鋼彫刻シンポジウム」で制作された作品だ。このシンポジウムは個人では到底実現できない巨大作品の制作が行える機会として、世界の彫刻家の耳目を集めたビックイベントだった。
シンポジウムでは新日本製鐵が単価数千万円の材料を無償提供し、制作者は熟練工の支援を受けて産業用の大型生産設備を使用できた。このような好機は空前絶後で、傑作は生まれるべくして生まれた。新日鐵の芸術に対する理解と献身はこの上もなかった。
大盤振る舞いに三度目がなかったのが残念だが、現代美術の機運はその後「現代美術サマーセミナー・イン・北九州」や、市民ボランティア団体「現代美術ソサエティ北九州」が引き継いだ。1997年には文部省が支援する現代美術の大学院相当機関・CCA北九州が全国で初めて設立され、現在に至っている。
キングは「牡牛座の月」を1987年の第1回国際鉄鋼彫刻シンポジウムで制作した。かれを招聘するためにシンポジウムが企画されたのだから、当然ながら特別な取り計らいで手厚くもてなした。
新日鐵が100トンの鉛を無償提供。完成した作品は高さ6m、長幅4m、重さが83トンある。制作ではキングが手のひらサイズの模型を新日鐵八幡製鐵所と前川電気鋳鋼所の職工に示し、かれらが実物大の作品を鋳鋼した。前川電気鋳鋼所の担当者は、「作品と初対面のキングが『ベリーグッド! ワンダフォ!』と連発した時が、もっとも報われた瞬間だった」と振り返っている。
完成した作品には1億円の値札がつき、北九州市が買い付けるのは難しかった。折りしもバブル景気の絶頂期であり、裕福な自治体が競り合って値を吊り上げた。この巨大な質量を持つ彫刻は関西や関東の大都市を飾るのにふさわしいと見做された。しかし日本宝くじ協会が収益金事業から1億円を拠出し、キングも招聘者である北九州市を尊重したことから、北九州市が手中に収めた。
この作品は芸術の愛好家でなくとも分かりやすい。右方向の斜め前から見ると、上部ブロックが枝分かれした二つの大きな角を表し、下部の三ブロックが右から頭部、前半身、後半身を表すと見て取れる。顎を引いて前屈みに身構えた姿を模したのだろう。
正面からは牡牛には見えない。代わりに上部ブロックが下弦の月を模したことに気づく。切り込みは影が射すさまを表したのだろう。この作品は「牡牛」と「月」を二つの角度に織り込んで、「牡牛座の月」と名づけられた。
正面から右へ歩いてゆくと、下弦の月は形を崩し、巨大なごつごつとした塊が目の前を覆う。次に、ふと牡牛が姿を現す。カメラの焦点が合うような感覚で、ぴたりと対象が鮮明化する範囲は広くない。立ち止まらなければ、はかない印象が一瞬脳裏をかすめるだけだ。
この作品の重量感と塊感は圧倒的だ。古ギリシャ趣味のあるわたしはアトラスを髣髴する。アトラスは西方の最果ての地で蒼穹の柱を支え、その重さゆえに永遠の苦悩に苛まれるという。上部ブロックの切り込みはこの角度からみると象徴的だ。重力の侵食を表しているように見える。
「牡牛座の月」は北九州市の国際交流地区・平野の象徴として、JICA九州前の緑地に設置してある。鉄の都にこそ鉄の彫刻はふさわしい。芸術のパトロンとして影で支えた新日鐵と日本宝くじ協会に感謝したい。宵の口からしばらくは照明が当たり、幻想的な雰囲気を醸す。
ステラは「八幡ワークス」を1993年の第2回国際鉄鋼シンポジウム「ザ・リサイクル」で制作した。材料はステンレス鋼で、約4.5m立方(427×475×482cm)の大きさがある。新日鐵八幡製鐵所と同社機械・プラント事業部が制作を支援した。
ステラは職工とともに実際の制作に当たった。キングの「牡牛座の月」のように模型を手渡せばポンと出来上がる代物ではない。作品は北九州市立美術館が購入して、新館の玄関前に展示してある。
「再生」を主題にしたこの作品もまた分かりやすい。キングはその作品で具象主題を形にしたが、ステラはその作品で抽象主題を形にした。単体では金属廃品に過ぎない個々が、全体構成の中で有機的役割を担い、まとまりとしては非常な重圧感と沈黙感を持った存在に生まれ変わった。
「螺旋形の切込みを施されたステンレス板(厚さ3mm、直径3.5m)3枚が褶曲され組み合わされて基本構造体をなしている。そこに種々多様なスクラップを自由に組み込み、仕上げに作品の上から1550℃の溶解ステンレスをポーリング(湯がけ)してこの鉄の彫刻は完成された」(松原明怡)
1枚目の写真は戦車をななめ後ろから見たような感じでよくまとまっているが、この角度では生命体の皮を剥いで内部のあばら骨や臓器を覗くようなグロテスク感がある。
わたしは美術には造詣がなく、芸術といえば音楽に傾倒する。前衛音楽ではヨーロッパとアメリカでは明らかな傾向の違いがあるが、キングとステラもまた、ヨーロッパとアメリカの傾向を代表しているように見える。音楽では前者が設計を重んじ、複雑で壮大な構成を好むのに対し、後者は構想を尊ぶものの、その実現では即興性に委ねる。
ステラの作品もキング同様に見る角度によって印象を変える。しかしキングのような計算高さは感ぜられない。そのくせどこからみても破綻がないのは抽象主題のゆえんだろう。「再生」には牡牛や月のような模写すべき形がなく、閲覧者が作品に期待する形がない。
ステラは本物と複製が競合し、結果として露出度で勝る複製が本物を押しのけて認識される状況にジレンマを覚えるという。たとえば、上の写真は作者の意図を離れて立体作品を一目で理解できる絵画的形式に置き換える。鑑賞者が本物を目の当たりにして、写真とは印象が異なると不満を述べるあべこべも生じる。
写真はわたしの視点である。ステラはこうやって紹介されるのではなく、実物が鑑賞されることを望んでいる。
篠原有司男はこの極彩色鉄鋼彫刻を1993年の第2回国際鉄鋼彫刻シンポジウムで制作した。表題が彫刻本体に刻印された正式名称だが、本人でさえこうは呼ばず、様々な名称が出回っている。材料は市民が拾い集めた空き缶を溶かして作った再生鉄などで、660×370×670cmの大きさがある。重さは26トン。比較的軽いのは、内部がもっぱら空洞だからだ。
新日鐵八幡製鐵所が制作を支援した。まず、篠原がベニヤ板を25枚張った大画面のキャンバスを用意し、職工らの前でやおら箒の柄に大きな筆をつけて、そこに原寸大のデッサンを描いた。「最初はちぐはぐだったが、ぼくのとっぴな発想と、ミリで勝負する職人さんの協調が最後に実った」と篠原の満足度は高い。篠原はステラ以上に制作過程に絡んだようだ。
篠原にとってオートバイ彫刻は生涯事業で、他にも「女と兎と蛙を従えたストロベリーアイスクリームをなめる髑髏バイク」などの悪ふざけな名前の作品が数多くある。北九州の作品が自他ともに認める篠原のオートバイ彫刻の代表作だ。群を抜く巨大作品だけに思い出に残ったのだろう。
作品はひと気のない高炉台公園に設置された。高炉台は記念碑的な場所で公園としての格が高いが、人目につかない。目立ちたがり屋の篠原作品にふさわしい場所とは思えない。八幡駅前のロータリーあたりが適地だったろう。
写真は照明が落ちた後の撮影だが、この作品も宵の口からしばらくは照明が当たる。作品は丘へ上る坂道の途中の広場にあり、遠目にもこの道の先になにか異様なものがあると気づく。実際に目の当たりにすると、その色使いと大きさから児童公園の遊具と見まがう。タイヤの部分などは皮が薄く、内部が空洞なものだから、手で叩くとぺんぺんと安っぽい音を立てて妙におかしい。
日本的な作品の特徴は、輪郭が明瞭なことだろう。浮世絵のようにくっきりして滲みがない。日本人は器用だから、ヨーロッパ風もアメリカ風も淡白も極彩色も自在にこなすが、日本的なるものの核心はそこにはない。わたしはこの輪郭の明瞭さは日本語の構造に起因するのではないかと考える。
日本語は一人称により世界を見る。だから主語は必要としない。印欧語は第三者の視点(神の目線)により世界を見る。だから自他に関係なくだれがどうしたといちいち説明しなければならない。
欧米の芸術というのは、日本語の頭脳から見ると前置きが多すぎ、出来上がったものに対して講義が長すぎる。日本的な芸術は序も跋もない。日本語は自己完結するゆえに、結果として現れた表現がすべてであり、自己を説明ないしは証明する必要がない。日本語は第三者の視点を知らない。
キングやステラは作品を通して鑑賞者の心にまで介入してくる。形ある作品は手段にすぎず、芸術の目的は印象の与え方にある。一方、篠原の芸術は作品が形になった時点で目的を達成している。日本的な作品が明瞭なのは、作品そのものが目的だからではないか。
国際鉄鋼彫刻シンポジウムは日米欧の世界観を表した秀作が出揃い、非常に有意義だった。世界の情報がまたたく入手できる現代では、たとえ田舎町であっても世界で通用しないものは行う価値がない。超一流が容易に知れる時世に、三流でも地元だから満足しろというのは無理がある。
さいわい北九州での企画は世界的にみても独創的なものがいくつかある。紫川十橋のように、意欲的な企てが実にみすぼらしく実践される事例もあるが、失敗を恐れて無難に傾くのがいちばんよくない。無難なことしかできない分野はばっさり切り捨て、突出できる分野でより過激であってほしい。
2003年3月27日、2004年10月28日撮影、2003年3月28日、2005年2月11日作成
Three works in International Symposiums for Steel Sculpture in Kitakyûsyû (Kitakyushu)