2006年10月16日更新
飯塚市は2006年3月26日に穂波町、筑穂町、庄内町、頴田町と新設(対等)合併して発足した。新設合併というのは新しい市を発足させることで、現在の飯塚市は1932年に市制施行した飯塚市ではない。この合併に伴って飯塚市役所は穂波町へ移転することになっている。
事務所(市役所)の位置は政治の駆け引き材料だ。中心市の力が強ければ市役所の位置は動かないが、中心市が強力な力を持っていない場合は市役所が移動させられる。市役所の位置なんてどうでもよさそうだが、実質的に吸収合併される側には重要な問題だ。
かれらは中心市の数合わせの道具にされたとは考えたくない。だから、かれらの意思で新市の象徴的存在である市役所の位置が動くかを試そうとする。吸収合併される側が吸収合併する側に与えた一種の踏み絵のようなものだ。中心市が痛みを受け入れれば、自分たちが対等な立場であることを確認できる。
下関市は市役所を唐戸から旧豊浦郡寄りの新下関へ移動する。山口市は市役所を旧山口市内に留めることができず、小郡町へ移転する。一方、中津市は旧中津市が絶対的な中心拠点であり、市役所は市域最北端の福岡県境にあるにもかかわらず移動しない。試みがどれだけ大胆になるかは力関係しだいだ。
嘉飯山では旧飯塚市が長崎街道飯塚宿の時代から地域の中心拠点だが、近代化以降に筑豊炭鉱の開発により地域全体がまんべんなく発達した経緯があり、中心市の地位が相対的に低い。さらに近年は福岡市の影響が及び、西の筑穂町や桂川町が強くなった。嘉飯山合併が新興の桂川町の異議によって破たんしたのが象徴的だった。
飯塚市はスプロール現象がはなはだしく、職場も住宅も大学も郊外に立地する。旧町の市民感情は理解するが、中心市街地の活性化を推進する立場の市役所が、自らも郊外へ移転させられるのは皮肉な話だ。
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