2010年10月26日更新
モノレール徳力公団前駅 左手が徳力団地 2004年5月
徳力の商業地 奥は徳力のランドマークとなる斜面住宅 2004年5月
モノレール徳力嵐山口駅の西口側道 2004年6月
幹線5号 徳力7丁目 2004年4月
半世紀前の徳力は紫川蛇行部の内側に広がる塊村形態の農村だった。あたりいちめん田んぼしかなく、2車線の国道322号が地区を南北を貫くほかは、曲がりくねったあぜ道があるだけだった。
1969年に日本最大級の住戸数を誇る徳力団地(2390戸)が出現した。徳力団地は北九州市の人口増や核家族化の進行により、当初から人気が高かった。1985年にモノレール小倉線が開通し、徳力は都心への交通利便性の高い郊外としてますます人気を博した。ただ、最近は大型商業施設が林立する下曽根に人気が移りつつある。
徳力の街区形成では徳力土地区画整理事業(1973-2000)が果たした役割が大きい。事業は施工面積164万2933㎡、総事業費388億円。徳力はこの時期に現在の街路が整備された。区画整理は大雑把に東から西へ進めたようで、国道322号から紫川方向に進むと、きっちり直線で割られた街区に田畑が増えてくる。
ほぼ同面積の高須(若松区)との違いは二つ。一戸建て住宅団地として土地・建物を抱き合わせにして販売したわけではない。平野部に位置し、周囲の丘陵地の一戸建て団地から人が下りてくる。街並みの統一感は乏しいが、求心力が働く上に制約なく開発できるため「街なか」になりやすい。
地主が土地を手放すのを嫌って、代わりに家族向けの賃貸住宅を大量に供給し、そこに家族を連れてきた転勤者が住み着いた。転勤者の口コミが広がり、現在の徳力は北隣の守恒とともに「転勤者の町」として知られる。不動産屋は客が転勤者と見ると、守恒・徳力の物件を熱心に勧める。
徳力地区の主要幹線道路は南北軸の国道322号と幹線9号(県道63号長行田町線)、東西軸の守恒大通り(仮称、守恒駅の南側の4斜線道路)と幹線5号(徳力嵐山口駅の南側の4車線道路)によって構成される。なお、幹線9号は紫川対岸を走る通りで、徳力土地区画整理事業の対象外。歩道のない2車線のボロい通りだ。
北九州市は通勤通学時交通手段分担率(2000)の45%が自家用車という車社会だが、その郊外である徳力は三大都市圏からの転勤者が多く、鉄道分担率が異様に高い。ちなみに東京都区の自家用車分担率は8%、大阪市のそれは12%。かれらは自家用車を持たず転勤してくる。従って、徳力は北九州の郊外らしくなく、駅前を中心に歩いてゆける範囲がよく発達している。
徳力公団前駅の界隈は、徳力団地が先行の利で地区のど真ん中を占める。商業地は駅から志徳団地にかけて面的な広がりがある。表通り沿いだけでなく、区画道路沿いにも飲食店などがあり、ちょっとした街なか気分だが、食品スーパー以上の大型店はない。企救丘六丁目の南斜面に張りつく階段状マンションは来街者を驚かせる存在だ。
徳力嵐山口駅の界隈は、桜橋以南の広域に住む市民の足場になっている。駅西口の有料駐輪場には管理人が常駐するほどで、利用者は遠方から自転車で通う方が多い。駅前の賑わいはないが、国道322号と幹線5号沿いに自動車客が相手の郊外店舗が立ち並ぶ。なお、駅名は周囲が京都・嵐山に似た自然景観を持つことに因む。
2008年1月18日作成
平日の夕方。守恒大通りから徳力団地西側の補助幹線道路を南へ。紫川を渡って未整備の幹線9号を経由して幹線5号へ。桜橋北で国道322号へ入り北へ。最後に徳力団地をめぐる。記憶容量に余裕があったため、ついでに志徳団地へ足を伸ばし、JR志井公園駅にたどり着く。
2008年1月17日撮影
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Tokuriki Neighborhood, Kitakyûsyû