2008年01月18日更新
モノレール徳力公団前駅 左手が徳力団地
徳力の商業地 奥は徳力のランドマークとなる斜面住宅
モノレール徳力嵐山口駅の西口側道
幹線5号 徳力嵐山口―志井の丘越え
半世紀前の徳力は紫川蛇行部の内側に広がる塊村形態の農村だった。あたりいちめん田んぼしかなく、2車線の国道322号が南北を貫くほかは、曲がりくねったあぜ道があるだけだった。
1969年に日本最大級の住戸数を誇る徳力団地(2390戸)が出現した。徳力団地は北九州市の人口増(自然増)や核家族化の進行により、当初から人気が高かったようだ。
1985年にモノレール小倉線が開通し、国道322号も4車線に拡幅されて、徳力は北隣の守恒とともに都心への交通利便性の高い郊外としてますます人気を博した。ただ、最近は大型商業施設が多数立地する下曽根に人気が移りつつある。
徳力の街区形成では徳力土地区画整理事業(1973-2000)が果たした役割が大きい。事業は施工面積164万2933㎡、総事業費388億円。徳力はこの時期に街区も街路も全部が新しくなった。区画整理は大雑把に東から西へ進めたらしく、国道322号から紫川方向に進むと、きっちり直線で割られた街区に田んぼやビニールハウスが増えてくる。
ほぼ同面積の高須(若松区)との違いは二つ。一戸建て住宅団地として土地・建物を抱き合わせにして販売したわけではない。平野部にあって、周囲の丘陵地に広がる一戸建て団地から人が下りてくる。街並みの統一感は乏しいが、求心力が働く上に制約なく開発できることから「まちなか」になりやすい。
地主が土地を手放すのを嫌って、代わりに家族向けの賃貸住宅を大量に供給したため、家族を連れてきた転勤者が好んで住み着いた。この評判が評判を呼んで現在では北隣の守恒とともに「転勤者の町」として知られる。不動産屋は客が転勤者と見ると、守恒・徳力の物件を熱心に勧める。
徳力地区の主要幹線道路は南北軸の国道322号と幹線9号(県道63号長行田町線)、東西軸の名無しの主要幹線道路(守恒駅南側の4車線道路)と幹線5号(徳力嵐山口駅の南側の4車線道路)によって構成される。なお、幹線9号は紫川対岸を走る通りで、徳力土地区画整理事業の対象外。歩道のない2車線のボロい通りだ。
北九州市は自家用車の通勤通学時交通手段分担率(2000)が45%というロサンゼルス型の都市だが、その郊外である徳力は三大都市圏からの転勤者が多いため鉄道分担率が異様に高い。ちなみに東京都区の自家用車分担率は8%、大阪市のそれは12%。かれらは自家用車を持たず転勤してくる。従って、徳力は北九州の郊外らしくなく、駅前を中心に歩いてゆける範囲がよく発達している。
徳力公団前駅の界隈は、徳力団地が先行の利で地区のど真ん中を占める。商業地は駅から志徳団地にかけて面的な広がりがある。表通り沿いだけでなく、区画道路沿いにも飲食店などがあり、ちょっとしたまちなか気分だが、食品スーパー以上の大型店は存在しない。企救丘六丁目の南斜面に張りつく階段状マンションは来街者を驚かせる存在だ。
徳力嵐山口駅の界隈は、桜橋以南の広域に住む市民の玄関町と位置づけられる。駅西口の有料駐輪場には管理人が常駐するほどで、利用者数では徳力公団前駅より多いのではないか。ただ、桜橋以南の市民は転勤者ではなく、駅周辺の賑わいは乏しい。国道322号と幹線5号沿いに郊外店舗が立ち並ぶ。なお、駅名は周囲が京都・嵐山に似た自然景観を持つことに因む。
平日の夕方。幹線9号から徳力団地西側の補助幹線道路を南へ。紫川を渡って未整備の県道長行田町線へ迂回して幹線5号へ。桜橋北で国道322号へ入り北へ。最後に徳力団地をめぐる。記憶容量に余裕があったため、ついでに志徳団地へ足を伸ばし、JR志井公園駅にたどり着く。
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