2008年11月23日更新
宗像はアマテラスの三柱の女神が降臨した由緒ある土地だ。しかし都市としての歴史は浅く、高度成長期以降の北九州市と福岡市の郊外拡散により住宅衛星都市として勃興した。宗像は小倉駅から40分、博多駅から35分と両都市のほぼ中間地点にあり、正反対の方向にある二つの都市から住民が流入した。
北九州と福岡の勢力を比較すれば、1960年に2:1、1980年に1:1、2000年に1:2くらいか。都市の盛衰の速度は思いのほか速い。現在の宗像は福岡都市圏広域行政事業組合に加入して北九州に背を向けているが、新天地を求めて最初に移住を開始したのは北九州市民だった。
1960年代はいまだ車社会が到来しておらず、北九州の人口集中地区は現在の市街地の半分しかなかった。八幡西区でさえ田んぼだらけの時代に遥かかなたの宗像が開発されたのは公害に原因があった。黒崎の城山小学校が降下煤塵で廃校になったのは、当時の公害を語る際に必ず持ち出される話だ。
1980年代に北九州が成長力を失うと、宗像には正反対の福岡から郊外化の波が押し寄せた。赤間と東郷のあいだで衝突した両都市圏の拡大戦線は、北九州陣営が撤退して宗像全域が福岡陣営の手に落ちた。2000年国勢調査による宗像市民の通勤通学先は、福岡市が北九州市の2.4倍に達する。
赤間の市街地は「スプロール現象」という言葉がふさわしい。駅南口近くを二級河川の釣川が流れ、平野部はあたりいちめん田んぼ。駅北口に宅地開発される以前の古い集落が張り付く。丘陵地は駅に近い場所から順次削られて、新興住宅団地へ変容していった。
宗像は赤間と東郷の双核都市だが、現在は倍以上の人口差がつき、赤間の中心拠点性が揺るがなくなった。東郷は駅前が区画整理されて町並みはきれいだが、用途がきっちり決められて拡張性がなかった。一方、赤間は駅周辺が古い集落と田んぼだから、開発余地が大きい。
赤間が頭抜けたのはここ10年の開発による。1999年に釣川南岸にイズミと31の専門店からなるゆめタウン宗像が開業、2001年にサンリブくりえいと宗像ほか多数の郊外店舗が集まる商業団地くりえいと宗像が開業した。一方、東郷のダイエーとジャスコは売上げ不振で閉店になった。
赤間駅周辺の再開発は1999年に始まり、赤間駅南口整備事業が2005年に完工した。南口は駅利用者の約7割が利用するものの裏口扱いだった。ここに宗像市が25億円を突っ込んでガラス張りの駅舎と広広とした南口広場をつくった。赤間は南口の完成で田舎町の風情から郊外住宅都市らしい表情に変わった。
赤間駅北口でも2005年から土地区画整理事業が始まった。赤間駅北口整備事業は赤間の表玄関に張り付く古い集落を薙ぎ払って、宗像市の顔につくりかえる事業だ。総事業費は87億円。玄海町と合併した褒美の合併特例債を注ぎ込む。事業は2014年の完工予定。2007年時点では北口の東側が更地になっている。
2007年12月18日作成
金曜日の夜。郊外都市の夜は早い。撮影に何度も失敗して21時半になり、くりえいと宗像の店舗の大半が閉店、真っ暗になったのが残念だった。整備完了の赤間駅南口から、ゆめタウン宗像、くりえいと宗像に寄り道して、未整備の赤間駅北口へ至る。
2007年11月9日撮影
©2010 ガゾーン 転載自由。著作権は関門通信またはその情報提供者に属します。
Akama District, Munakata