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2007年05月20日更新

田川後藤寺駅前

用途地域等
未調査(商業地域 ?)
現況
田川市の副拠点
場所
田川市大字奈良1829(田川後藤寺駅)
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田川後藤寺駅前

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本町銀天街

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田川後藤寺駅―後藤寺バスセンターの目抜き通り

田川後藤寺駅は、田川市大字奈良にある平成筑豊鉄道糸田線、JR日田彦山線、JR後藤寺線の旅客駅。田川伊田駅と並び、田川市の主要駅と位置づけられる。

駅は1896年に豊州鉄道の後藤寺駅として開業した。豊州鉄道は1901年に門司の九州鉄道と合併し、以降は国鉄、JRを経て、糸田線は三セクの平成筑豊鉄道に転換されて現在に至る。

後藤寺駅の所在地だった後藤寺町は1943年に伊田町と合併して田川市を発足させた。しかし、後藤寺と伊田は勢力が拮抗していたため、新市発足後も後藤寺と伊田の二極体制は残った。「田川駅」をつくることは田川市の長年の懸案とされながら難しい問題だった。結局、後藤寺の新駅舎が竣工した1982年に、後藤寺・伊田の両駅に「田川」を被せることで決着した。

田川後藤寺駅舎は1990年竣工の田川伊田駅と比べると明らかに規模が小さいが、後藤寺には伊田にはないバスセンターがある。このあたりも双核都市の微妙なバランス感覚だろう。玄関は西口のみだが、駅の東西を一体化するために東側へ2車線の「後藤寺大橋」を渡した。裏手の住宅地へはこの跨線橋を渡るか、駅北側のガード下をくぐる。

田川は筑豊の中でももっとも疲弊の度合いが強い。その中でも後藤寺は特に印象的だ。後藤寺は街路が狭く、老朽家屋が密集しているため、どんなに鈍感な人間でも地域が血を吐いていることがまざまざと分かる。日曜の午後も駅前は昏睡状態で、その静けさに嘆息しないではいられない。

北九州市は多核都市の看板を下ろして小倉の一極集中に改めたが、田川市もいつまでも双核都市でありつづけるのは不可能だ。福岡県の田川都市計画(2004)によれば、伊田が中心拠点、後藤寺が副拠点という位置づけになっている。伊田と後藤寺の勢力は現在も拮抗しているため、一方を切って捨てるのはせつない。しかし、もはや待ったなしで手を打つべき時期ではないか。

田川市の2005年3月時点の人口は約5万3000人。田川市郡では14万人を超える。最盛期と比べればなるほど衰えたが、一極集中に改めて集中投資すれば、都市を再生させるだけの体力はまだ十分に残っている。

参照記事(他サイト)
田川後藤寺駅 - 日田彦山線活性化推進沿線自治体連絡会
関連項目(ガゾーン内)
後藤寺商店街 - 後藤寺のアーケード。本町銀天街と上本町商店街
後藤寺バスセンター - 田川市の拠点交通ターミナル。西鉄バスが発着
田川伊田駅前 - 平成筑豊鉄道とJRの駅。田川市の中心拠点

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Tagawa Gotôzi Railway Terminal