2006年09月12日更新
JR東水巻駅は、水巻町吉田南にあるJR筑豊線の委託駅。島式乗り場1面2線の地上駅。線路が障害地形を避けるため二手に分かれる場所にあり、乗り場は中間から折尾方面にかけて幅が広がる。現在では線路を二手に分ける必要性が感ぜられないが、石炭輸送が盛んだったころは、このあたりは複複線だった。
駅舎と駅前広場は線路と線路に挟まれた閉鎖区域にあり、駅前広場から西のガード下をくぐると吉田団地の真っ只中に出る。東のガード下をくぐると吉田工業団地へ行ける。東西の進入路は歩行者専用であり、駅前まで自動車で進入することはできない。西口の県道から乗り場までは150mほどの距離がある。
東水巻は1988年開業の新しい駅だ。国鉄民営化の前後に開業した新駅はみすぼらしいのが通例で、1987年開業の安部山公園駅はごく普通の歩道橋に改札口を設けて、仮設風の乗り場を設けただけだった。
東水巻の山小屋風の駅舎は、「町」の二番手の駅にしては相当に立派ではないか。隣には駅舎と揃いの便所棟もある。駅前広場や乗り場は街区公園のように整備されている。老朽団地という生活臭が染み付いた場所に立地しながら生活感がない。
東水巻駅はガード下を介して東西の市街地へ連絡する。西口とは西側の進入口の意味だ。西口には吉田団地が展開し、県道沿いにぽつぽつ個人商店がある。駅が立地することで繁華な場所が生じたという雰囲気はない。
吉田団地はかつて日炭高松炭鉱の鉱員社宅だった。水巻町は町中が団地だらけだが、水巻に団地が多いのは北九州の市街地が郊外へ膨張して住宅団地が開発されたからではなく、かつて日炭高松炭鉱が存在した名残りだ。
吉田区の鉱員社宅は梅ノ木区のそれに次ぐ規模を誇り、閉山前の1960年には786世帯3592人がいた。現在の団地は1968年の建設開始で、2006年6月時点では710世帯1426人。規模は衰えていないが、住民は子育てを終えた老夫婦が多そうだ。
建物は中層住宅6棟を除けば2層長屋(メゾネット)の集合住宅が多い。この頃に建設された住宅は「安かろう悪かろう」で、築30年以上も人が住むようにはできていない。こんな古めかしいメゾネッドは北九州市内では大部分が取り壊されてもう見ない。現役がこれだけ集積している場所がまだあったとは驚きだ。
東口は裏口の位置づけだろう。正面は広場らしい。北側が1967年造成開始の吉田工業団地。ワイ・イー・テック水巻工場、ムラタ、武末鉄工所北九州工場など、鉄工関連の零細工場が集まる。
南側の吉田ボタ山は更地の状態で、現在は災害防止事業として整備を進めているそうだ。跡地は公園・緑地や福祉施設などの公共・公益的利用や、収益的利用の両面から整備を検討しているという。
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JR Higasi Mizumaki Railway Station