2011年3月8日更新
秋根記念公園正門
秋根記念公園 南側区画道路(新下関駅側)
秋根記念公園 運動場 新下関方向を眺める
秋根記念公園 遊具広場 奥の白い建物は東消防署勝山出張所(公園とまとめて新市庁舎用地になる)
航空写真
秋根記念公園は、山陽新幹線新下関駅開業に伴う新下関駅周辺土地区画整理事業によって造成された近隣公園。新下関地区の東西軸をなす県道259号から1区画入った場所にあり、新下関駅側の沿道30mは商業地域に面すが、その他は第一種住居地域で一戸建て住宅地になっている。綾羅木川の対岸は田んぼの海。
公園は区画整理のときに、秋根1号古墳の保存を兼ねて新下関地区の中央公園として新設したようだ。園内はソフトボールができる運動場を中心に、東側に公園正門と秋根神社、その境内に秋根1号墳と移設された秋根2号墳があり、西側に遊具公園がある。公園外周を散策路がぐるりと巡る。近隣公園にしては充実度が高い。
新興住宅地の近隣公園を紹介するのは、ここが豊関合併に伴う下関市役所の建設予定地だからだ。下関市役所の移転候補地選びは、まず下関市新庁舎建設候補地検討委員会が候補地を絞込み、次いで庁舎問題検討委員会が最終候補地の新下関(秋根記念公園、勝谷)、幡生、唐戸を点数評価した。結果は、
現庁舎の敷地で建て替えるのがよいという結論だが、市庁舎の移転問題は合併協定項目の付帯決議「新庁舎の建設位置については、新市の住民全体の利便性を考慮すると、新下関区域周辺が最適であるとの意見が多数を占めたことから、十分に配慮すること」に端を発しており、これを加味しない議論は意味がない。
新下関区域周辺の2候補地に関しては、地元から秋根記念公園を推薦する陳情が行われ、一本化が図られた。庁舎問題検討委員会は「合併協定項目の付帯決議は単純に点数化して判断することが困難」として、新下関(秋根公園)、幡生、唐戸の3箇所に「決定的な差は見出せない」と結論を出さなかった。
合併協定項目の付帯決議に法的な拘束力はない。しかし合併協定書に記載された事項であり、十分に尊重することが求められる。この付帯決議なくして旧豊浦郡は合併に同意しなかった。市庁舎の新下関移転が旧郡部に恩恵をもたらすかは疑わしいが、旧郡部はこれを下関市の誠意を見るための踏み絵にした。
江島潔前市長は対応に苦慮し、住民投票で決めようとしたが、議会の反対により実現しなかった。議会が住民投票を阻んだのは、住民投票にかければ旧市内の意見が通り、合併協定項目の付帯決議が蔑ろにされると恐れたからだ。新下関移転に賛成なのではない。反対は道義的に許されないという強迫観念に縛められていた。
江島潔前市長は最終的に新下関移転を決断、旧市内の有権者に嫌われて2009年3月の市長選立候補を断念した。市長選の立候補者らも付帯決議に縛められた。唯一の例外が当選した中尾友昭市長で、「旧4町は市庁舎がほしいのではなく、市が自分たちのことを思ってくれているか心配なのだ」(毎日新聞)と主張した。
その主張はおそらく的を得ている。しかしその後、市議会で「合併した時と今とでは時代が変わり、民意も変わった。だからわたしが当選した」(NHK)と答弁したのには呆れる。合併協定項目の付帯決議はそもそも民意ではない。合併の交換条件として旧郡部に約束したものだ。多数決で覆せる問題ではないから厄介なのだ。
下関市新庁舎建設候補地検討委員会では関門市についても言及があった。関門市が目指す特別市や都市州がどういうものかは分からないが、この場合、下関市内にはおそらく複数の区が設置される。旧市内の山陰地域と旧郡部をまとめて豊浦区が設置されることは想像するに難くない。庁舎問題は発展的に解消する余地がある。
新下関区域周辺は候補地選びでもっとも手厚く調べられた。調査されたのは5箇所。
竜王山と形山は候補地のたたき台として挙げただけだろうが、悪い冗談だった。卸売市場は市場の移転や関係者との調整が難しそうだった。勝谷が最終候補地に残ったのは意外だが、田園地帯に巨大庁舎を出現させた茨城県庁などの先例があり、役人感覚ではさほどおかしな案ではなかったろう。
新庁舎の建設予定地となった秋根記念公園案は、新下関の目抜き通り・県道259号に面した下関市消防局東消防署勝山出張所と、隣のガソリンスタンドの敷地、裏の秋根記念公園の土地をまとめて収用する。敷地面積2haは十分な広さではないが、JR新下関駅から徒歩数分と利便性の評価が高い。
ここに概算事業費216~227億円を投じて新庁舎を建設する。財源は合併特例債(充当率95%、交付税算入率70%)を充てる。期限は2014年までで、もう時間的な猶予がない。建物は11階建ての本庁舎(延床3万0505㎡)と、5層6段式の立体駐車場(350台収容)、5階建ての消防署(延床3610㎡)からなる。
秋根記念公園は廃止となるから、公園を別に確保する必要があるが、綾羅木川の対岸は田んぼの海だから代替地を確保するのは容易だろう。公園は市街地内にあってこそ緑の潤いになるが、この際やむをえない。地元がこの場所に来いと言っているのだから、周辺住民の理解は当然得られよう。
2009年4月12日作成
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Akine Memorial Park, Simonoseki