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2006年2月6日更新

大興善寺と蒲生の煉瓦蔵 1/2

設計・施工
伽藍 不詳
竣工・規模等
山門 1671年建立、舎利殿 1690年建立
場所
北九州市小倉南区蒲生2-8-6(大興善寺)

大興善寺は鷲峰山という小さな丘の麓にある。鷲峰山の山頂には1964年建立の「わしみね平和観音」という高さ17.7mの観音像が奈良の方向を向いて立つ。わたしはこの像に引き寄せられてやってきて、はじめは麓に山寺があるな程度にしか思わなかった。

山の上に巨大な観音像を立てるくらいだからただの寺ではないとは察せるが、一見しただけでは広大な寺領を有して権勢をふるった歴史は感ぜられない。寺の前が都市計画道路9号線(幹線9号)の建設現場で、周囲が薙ぎ払われてまるで風情がないせいもある。

大興善寺が立地する蒲生地区は都心からもっとも近い田園地帯だ。ここだけぽっかり田んぼなのは、寺領内の地縁が開発を排除したからだろう。蒲生地区は大興善寺と同じく一見しただけではただの村落に見える。目を凝らせばそこかしこに煉瓦の蔵が見当たる。門司港が都市型レトロなら、蒲生は田園型レトロといったところだ。

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大興善寺の歴史

大興善寺は鎌倉時代の寛元3(1245)年、時の執権だった北条時頼公の命により佐野源左衛門尉常世が創建した奈良・西大寺の末寺。当時は十八大寺の一つであり、宗派は律宗だった。

建立当時は、僧侶、僧徒、沙弥など約150人が生活する規模の大きな寺だった。伽藍(=寺院内の建造物)は、長門(山口県西部)駿河権の守 物部武村と物部武直が檀越(=卓越した檀家。資金提供者)となり、仏殿、講堂、宝塔、僧堂などを修造して完成をみた。県指定有形文化財(彫刻)の如意輪観音像金剛力士像はこの頃の作品。

寺は永享年間(1400年代初め)に防州(山口県中・東部)の太守 大内義弘や足利六代将軍 義教より田畑の寄進を受け、広大な寺領を所有して絶頂期を迎えた。しかし天正年間(1574-92)の大友の乱によって伽藍はことごとく焼かれ、廃墟に帰した。

慶長の初め(1596)に里人が草葺きの小屋を再建し、東雲寺の禅僧、門室玄普和尚を住まわせ、曹洞宗の寺院として再出発した。小笠原家の家臣だった沖旅齋居士は歴史ある大興善寺の没落を痛く憂えたそうで、小笠原忠真公夫人の永貞院を功徳主(=大物の資金提供者)にして、大興善寺の再興を目指した。

寛文11(1671)年より伽藍の再整備をはじめ、現在も残る山門(1671)や舎利殿(1690)などが造立された。現在の大興善寺の起源はここにある。

建造物

山門

1671年建立の山門は北九州市指定有形文化財(建造物)に指定される。三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造で本瓦葺き。門の両脇にある格子部分に2体の金剛力士像をそれぞれ安置する。1719年に虹梁や組物の造作、取替などの大規模な修理を行い、建造物としてはこの時の特徴が色濃いという。2000-2年に解体復原工事が行われた。

北九州市内に残された江戸期に建築年代がさかのぼる唯一の楼門だそうだ。これといった特徴はないが、金剛力士像が箔をつける。いったん解体したにしては古さが損なわれていない。

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本堂

本堂は山門をくぐって正面にある。まだ新築の様子で、山門や舎利殿を解体復原した2000-2年ころの竣工とみえる。11世紀に約150人の僧侶がいたという面影はない。

屋根は宝形造で本瓦葺き。流れ向拝付で、四方に縁をめぐらす。入母屋と比較すると宝形の寺は質実剛健な印象だ。大興善寺は宝形が好みらしく、下で取り上げる僧堂も宝形だ。「鷲峰山」と緑色で彫りこんだ扁額は修験道を思わせ、わたしのようなならず者でも敬虔な気分になる。しかし、次の瞬間にはアルミサッシの扉に目が留まり、廉価住宅と同じだななどと考える。

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舎利殿

舎利殿は大興善寺の建造物の目玉だ。本堂の右隣にある。山門と並んで北九州市指定有形文化財(建造物)。状況証拠から1690年の建立と考えられる。

建物は方一間(2.72m)の小堂で、屋根は一重、宝形造でこけら葺き。 昭和初期以降は仏堂として用いたため、背面を迫出して仏壇を設ける。往時は中央に舎利塔を安置し、 四方に縁をめぐらせて建具を構える舎利殿に相応しい求心的構成だった。山門と同じく2000-2年に解体復原工事が行われ、桟瓦葺きよりこけら風銅板葺きとなる。

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これはすっかり新築になってしまっている。解体復原は古い建造物を延命するためには必要な処置だが、風雪が刻んだ300年の歴史は失われる。その歴史こそが建物を傷ませた原因だからだ。結果として模造品のような印象になるのは残念としか言いようがない。

僧堂

建物は山門をくぐって右手にある。正面が本堂。本堂と僧堂のあいだが舎利殿。渡り廊下は舎利殿の裏をLの字に折れ曲がって本堂と僧堂をつなぐ。僧堂は「佛(悉?)命(貰?)堂」と彫りこんだ扁額を掲げる。達筆すぎて学のないわたしには判読できない。住職や僧侶、僧徒の住居ではないか。規模は本堂より一回り小さい。

これもまだぴかぴかで、本堂と同時期の竣工とみえる。屋根は本堂と同じく宝形造、本瓦葺き。同じ宝形でも本堂は反り屋根(凹んだ屋根)、僧堂は起り屋根(凸んだ屋根)と、実に凝った使い分けだ。玄関は中央ではなく右に寄せて非対称とする。起り屋根は建物全体がずんぐり凝縮した印象で、個人的には好きな形式だ。

なお、大きな屋根で起りを用いるのは、腐りやすい軒先から早く水を切るためという。

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わしみね幼稚園

有力な宗教施設には学校がつきものだ。大興善寺にはわしみね幼稚園がある。建物は本堂、僧堂と同時期の竣工とみえる。和の空間にコンクリート打放しは大いに違和感があるが、いまや教育といえど客商売だからあまり宗教色を強く押し出すわけにはいかなかったろう。キリスト教会と違って、宝形造の本堂を見て「おしゃれ」「かわいい」と言ってくれるおかあさんはいない。

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資料

参照記事(外部サイト)
大興善寺 公式ホムペ
大興善寺 - 北九州のあれこれ
関連項目(ガゾーン内)
幹線9号 - 長行田町線を代替する幹線道路。大規模な新設区間がある。
永照寺 - 浄土真宗本願寺派の寺。小倉南口から大手町へ移転。

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