ガゾーン関門都市圏

2010年10月30日更新

段谷産業株式会社

業種分類
東証一部 - その他製品 総合住宅資材
操業等
2002年4月19日に自己破産の申し立て。本社敷地2万6000㎡は2006年8月にナイスが物流センター用地として取得。
場所
北九州市小倉北区東港2-5-12
画像

段谷産業本社 倒産後

破産宣告

段谷産業株式会社は、2002年4月19日に福岡地方裁判所小倉支部へ自己破産を申請し、破産宣告を受けた住宅資材の製造業者。負債総額は連結で約338億円。東証一部上場企業だったため、地場経済にしばらく余波が残った。

住宅資材の市場環境が厳しくなっている中、当社といたしましては経営計画に基づき事業の再構築、工場の統廃合、人員の削減、新事業の進出等、諸施策を実行し、再建に取組んでまいりましたが、売上げ減少、赤字を克服することができず、又、昨今の株価低迷による信用不安の影響もあって、事業の継続が不可能と判断し自己破産の申立てを行なった次第です。(代表取締役 段谷陽一郎)

業績低迷

段谷産業は1934年1月10日に設立された。公式ホームページの残滓には沿革などの有用な情報がなにもないが、2ちゃんねるの過去ログに簡単な会社説明があった。

商品グレードの高さでは定評のあったメーカーでしたな。もともと北海道が発祥の地で、段谷福十さんが創業した製材所がスタート、戦前は軍需物資、戦後は進駐軍の隊舎とかで大きくなった会社、特に三井鉱山・三井物産関連で九州に拠点展開しだしてから「北九の段谷」になったんですよ。

木の香りを感じさせる名門建材メーカーだったけどな・・・。実際一昔前の九州での就職では、東陶だと作業服だけど段谷は背広だからというイメージで段谷に就職した業界関係者が多かったらしい。(段谷産業、自己破産を申し立て

1973年に東証一部に上場し、地元では名門企業の一つに数えられた。1980年代以降は主力の合板事業が傾き、住宅機材やインテリアなどの関連分野へ進出して多角化を図ったが、追い討ちをかけるように平成の大不況に突入して経営体力を奪った。

住宅着工件数の減少や価格競争の激化で売上高が激減し、1998年11月期には9.49億円の債務超過に陥った。1999年に地元財界や三井物産などを引受先にした18億円の第三者割当増資を実施して債務超過を解消したが、過激な人員削減や不採算事業の切り捨てにより可能性の芽も摘み取り、業績回復の糸口がつかめなくなった。

最後決算となった2001年11月期は、売上高が359.63億円で、経常損失が30.05億円。売上高は最盛期の4割で、経常赤字は6期連続だった。株価低迷により市場からの資金調達はかなわず、主力銀行の三井住友銀行は追加融資を拒絶した。民事再生法や会社更生法の道を模索せず、唐突に自己破産となったのはこのためだ。

子会社のダンタニハウジングマテリアル、ダンタニホーム・イノベーション、ダンタニインテリアなども同時に破産宣告を受けた。DIYセンチュリーはいまも健在だ。段谷の名は工場を買い取った東建グループの出雲ダンタニ工場として残る。

清算業務

会社は2002年4月26日付で社員470人の大半を解雇した。以降は破産管財人が処分可能な事業や在庫を切り売りして、債務の一部を弁済した。完済したという話は当然ながら聞かない。

東港の本社は廃墟と化していたが、2006年8月にナイス(本社、横浜市)が取得した。約10億円を投じて北九州地区および中国地方における住宅建築用資材の物流体制の強化を目的に総合物流センターを開設する。

2006年11月15日作成

資料

参照記事(外部サイト)
段谷産業公式ホームページ - インターネット・アーカイブ
段谷産業 - ヤフー・ファイナンス(インターネット・アーカイブ)
段谷産業 - 法政大学岸本ゼミ
総合物流センター用地を取得(PDF) - ナイス
関連項目(ガゾーン内)
なし

ご意見等

2008-12-17 まな

わたくし元社員ですが入社した時からいつ倒産してもおかしくないと言われてました。今更言ってもどうしようもないですが?

2009-6-25 三休

私も元社員です。懸賞作文「私の夢」で賞品として株券1000株もらいました。めでたいことに、今もっています。愚直なところが、社長が社長なら、社員も社員だなぁって思います。

2009-6-28 投稿

元社員さん2名知っていますが、2名とも仕事をよくやる人でした。私はその会社を退職しましたので彼らの第2の人生がいまどうなってるのかはわかりませんが・・・。

2010-4-26 原因は?

倒産の原因は会社の内部から見るとどのようなところにあったのでしょうか? リストラで有能社員が辞めたのが大きな起因だったのでしょうか? 今後の勉強にしたい。

2010-5-2 まな

元社員の私から見て会社が営業中心ではなく工場中心の体質だったのが原因だったと思いますよ?

商品開発も営業の声は聞かずに工場の効率ばっかで商品開発をやって… あと市場が関東が中心だったのに九州中心の商品開発をしてたのもありますね?

九州中心の商品開発をするなら九州だけで商売をすればよかったのに… それと一回関東で営業をやって失敗してるのに関わらずまた再度関東で営業をやって失敗してるんですよ… まぁ終わった話ですが…

あと会社そのものもリストラしすぎたのもありますね… 有能な社員が特別退職金が出るうちに辞めたのもありますね… だってかって1000人近く居た社員がわずか数年で半減ですからね…

2010-5-7 匿名希望

私も、ここの社員でした。ボウリング場でしたので意外がられました。しかし、辞めた後に知ったのですが、入社する時すでにやばい状態だったらしく、こんな所ならもっと他の企業を受ければ良かったと後悔しています。おまけに、ここでの経験は何の役にも立ちませんでした。倒産する前に辞めたのが、まだ救いです。

2010-6-29 ひろみ

45年前に、入社しました。当時の月給は、
 9,000円でした。

2010-6-29 ひろみ

前回投稿しましたが、思い出した事を書きます。

45年前中卒で、養成工で入社しました。同期入社は100人程、3ヶ月間本社で研修があり、戸畑の境川製材工場(米良工場長)に配属され、フイリッピン方面から輸入したラワン材等を大型の帯鋸で建築用の板に加工する作業に従事、まれに原木の中に戦時中の機関銃弾が入っていて、帯鋸から火花が飛び刃が欠けてしまう事が有りました。

私が入社した当時、福利厚生はすばらしく、研修、慰安旅行の他に市民会館を借り切って、有名歌手を招き社員家族皆で慰安会があった事を思い出します。当時はとても良い会社でした。結局、同族経営が裏目でした。

2010-6-30 まな

やはり”同族経営”と昔の栄光に浸ったまんまで世間の流れに追いつけなかったんでしょうね…

ひろみさんが在籍されてた頃は良かったんですがその良かった頃のまま世間は成長してダンタニはそのままだったんでしょうね…( 一一)

2010-7-24 三休

西行に憧れていた陽一郎さんは、悟りの境地に入ったのでしょうかね?

わたしも山頭火に憧れて放浪の旅に出たい!

『 思い出の 輝きさらに 加速する 』

2010-9-26 段谷エンドユーザー

20年前に無垢材使用の玄関収納ユニット購入。今でも、変わらずに使用中ですが、蝶番が金属疲労で傷んでしまいました。代替え品は未だ存在しますか?

2010-10-9 投稿

我が家も20年前の玄関収納ユニットがあります。

蝶番?というのですか、扉の取り付け金具が壊れてしまいました。

扉側、  品番BFX304

本体側、 品番SGW102 の番号が見えます。

同等の、別のメーカーのものでも、ぜひ手に入れたいです。

2010-10-10 まな

投稿さんへ たぶんあるとすればどこかの材木屋になるでしょうね? 段谷産業そのものが蝶番は作ってなかったので? それとも玄関収納そのものを他社に取り換えるしかないですね? あとはジャパン建材に問い合わせるしかないですね? でも20年前だともう商品そのものが残ってないかも… 10年位前に蝶番をモデルチェンジしてるので?

2010-10-30 段谷

同系の方がいらっしゃるのには感激でした。まなさんの返信にも感謝致します。結論としては、あまり開け立てしない扉の物と替えて使用してます。ありがとうございました。

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