2010年10月30日更新
段谷産業本社 倒産後
段谷産業株式会社は、2002年4月19日に福岡地方裁判所小倉支部へ自己破産を申請し、破産宣告を受けた住宅資材の製造業者。負債総額は連結で約338億円。東証一部上場企業だったため、地場経済にしばらく余波が残った。
住宅資材の市場環境が厳しくなっている中、当社といたしましては経営計画に基づき事業の再構築、工場の統廃合、人員の削減、新事業の進出等、諸施策を実行し、再建に取組んでまいりましたが、売上げ減少、赤字を克服することができず、又、昨今の株価低迷による信用不安の影響もあって、事業の継続が不可能と判断し自己破産の申立てを行なった次第です。(代表取締役 段谷陽一郎)
段谷産業は1934年1月10日に設立された。公式ホームページの残滓には沿革などの有用な情報がなにもないが、2ちゃんねるの過去ログに簡単な会社説明があった。
商品グレードの高さでは定評のあったメーカーでしたな。もともと北海道が発祥の地で、段谷福十さんが創業した製材所がスタート、戦前は軍需物資、戦後は進駐軍の隊舎とかで大きくなった会社、特に三井鉱山・三井物産関連で九州に拠点展開しだしてから「北九の段谷」になったんですよ。
木の香りを感じさせる名門建材メーカーだったけどな・・・。実際一昔前の九州での就職では、東陶だと作業服だけど段谷は背広だからというイメージで段谷に就職した業界関係者が多かったらしい。(段谷産業、自己破産を申し立て)
1973年に東証一部に上場し、地元では名門企業の一つに数えられた。1980年代以降は主力の合板事業が傾き、住宅機材やインテリアなどの関連分野へ進出して多角化を図ったが、追い討ちをかけるように平成の大不況に突入して経営体力を奪った。
住宅着工件数の減少や価格競争の激化で売上高が激減し、1998年11月期には9.49億円の債務超過に陥った。1999年に地元財界や三井物産などを引受先にした18億円の第三者割当増資を実施して債務超過を解消したが、過激な人員削減や不採算事業の切り捨てにより可能性の芽も摘み取り、業績回復の糸口がつかめなくなった。
最後決算となった2001年11月期は、売上高が359.63億円で、経常損失が30.05億円。売上高は最盛期の4割で、経常赤字は6期連続だった。株価低迷により市場からの資金調達はかなわず、主力銀行の三井住友銀行は追加融資を拒絶した。民事再生法や会社更生法の道を模索せず、唐突に自己破産となったのはこのためだ。
子会社のダンタニハウジングマテリアル、ダンタニホーム・イノベーション、ダンタニインテリアなども同時に破産宣告を受けた。DIYセンチュリーはいまも健在だ。段谷の名は工場を買い取った東建グループの出雲ダンタニ工場として残る。
会社は2002年4月26日付で社員470人の大半を解雇した。以降は破産管財人が処分可能な事業や在庫を切り売りして、債務の一部を弁済した。完済したという話は当然ながら聞かない。
東港の本社は廃墟と化していたが、2006年8月にナイス(本社、横浜市)が取得した。約10億円を投じて北九州地区および中国地方における住宅建築用資材の物流体制の強化を目的に総合物流センターを開設する。
2006年11月15日作成
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