2009年12月17日更新
石鳥居(1697年建立の石鳥居は奥)
石段の参道
参道途中の奉納殿(?)
拝殿
社伝
高住神社は、英彦山神宮の摂社の一つ。英彦山神宮は英彦山全山が神域で、上宮、中宮、下宮、奉幣殿ほか、摂社の高住神社、玉屋神社が山中に点在する。明治政府の神仏分離政策までは神仏混淆が行われ、社名を豊前坊と称した。
祭神は、豊日別大神、天照大神、天火明命、火須勢理命、少名毘古那命の五柱。主祭神の豊日別は豊の国を擬人化した神で、「別」は「地方を分け治める者」の意。名義は「光が豊かな太陽の男子」(記憶の森)。天狗神として崇められる。
社殿は継体天皇(450?―531)の代に藤原恒雄によって創建されたと伝わる。建造物でもっとも古いのは参道入口から2番目の石鳥居(1697)だろう。この蒼古とした石鳥居をくぐり、樹齢4-500年の杉が立ち並ぶ境内の苔むした石段の参道を上ってゆくと、城址のような石垣の上にこじんまりした拝殿がある。
拝殿は高層ビルのような巨石の前にあり、幣殿や本殿を背後に配置できない。英彦山は元来、山そのものを御神体とする山岳信仰だから、聳え立つ巨石を御神体の象徴として、本殿を必要としないようだ。西国遠眼鏡を見ると切妻平入りの拝殿が写っており、現在の拝殿は1999年の台風18号以降の再建ではないか。
巨石や巨杉には威厳を、石段や鳥居には風雪を感ずるが、境内の建物はどれも冴えない印象だ。神社は再建しても様式を継承することで古との繋がりを保つ。高住神社の拝殿は前代と当代でがらりと違うのだから、想いは遠く過去へは遡れない。さらに神仏混淆が建築様式にも現れて、わたしのような門外漢は頭が混乱する。
神は山に宿り、修験者は山に入る。英彦山では宗教的世界観を建物に投影して、象徴化あるいは記号化することがなかった。拝殿横で寝そべる青銅の神牛(1838)は、自分の体の具合が悪い部分を撫でるとご利益があるそうだ。分からないことは考えず、二拝二拍手一拝をしたら神牛を撫で撫でして帰ろう。
2007年5月22日作成
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Buzenbô Takasumi Shrine