ガゾーン関門都市圏

2009年2月1日更新

新旧の新仲哀トンネル

設計・施工
国土交通省北九州国道事務所(担当)
竣工・規模等
新仲哀隧道=1967年供用、延長1220m、標準幅9.2m、2車線、アスファルト舗装。仲哀改良=1999年度着工、2007年3月5日供用、延長2200m、幅員14m、2車線+片側歩道、3種1級、事業費約100億円。うち、新仲哀トンネル=コンクリート造、延長1365m、標準幅11m、コンクリート舗装
場所
香春町鏡山―みやこ町菩提司

仲哀峠

引用

香春町とみやこ町の境には、筑豊と京築を隔てる山塊が横たわる。竜ヶ鼻(標高680.6m)と障子ヶ岳(標高427.3m)の間を県道64号苅田採銅所線の味見隧道が貫き、障子ヶ岳と飯岳山(または大坂山、標高573.0m)の間を旧道の仲哀隧道と国道201号の新仲哀隧道・新仲哀トンネルが貫く。

トンネルが刳り貫かれるまではどちらもかつては峠道だった。味見峠の名は仲哀天皇が宇佐神宮へ神境を奉納するため峠を越えたとき、峠にて豊前からの無塩の魚を味見したという言い伝えに因む。仲哀峠も仲哀天皇が峠を越えたことに因むが、味見峠のような小話はないようだ。

仲哀峠あたりは300m級の尾根が連なって鞍部という感覚に乏しい。「仲哀峠の頂上からはみやこ平野や周防灘の雄大な光景が眺められ、四方が山に囲まれた筑豊地方のほかの峠とは趣が異なる」(読売新聞)。峠道は現在、自然遊歩道らしい。地図や航空写真を凝視しても、道らしい筋は発見できない。

この仲哀峠にトンネルが開通したのは明治末期の1889年だった。仲哀隧道は赤煉瓦と切石の坑門を持つ素掘りトンネルで、七曲りの山道を登って5合目あたりに穴を穿った。延長432mのトンネルは1929年に有効幅を3.6mから5mに広げたが、1967年に国道201号新仲哀隧道が山裾を貫き、現在は不要の烙印を押されて廃坑になっている。

新仲哀隧道

国道201号の道筋は古くは篠栗街道として栄えた。現在は筑豊を東西に貫く大動脈であり、新仲哀隧道(トンネル)は筑豊と京築を結ぶ要所として、1日約2万2000台の交通量がある。

画像 引用

新仲哀隧道は高度成長期の無個性・無愛想・無装飾の三拍子が揃った土木構造物だ。坑門も内部も当時の標準規格であり、まったく無個性としか評しようがない。坑口の上に掲げた黒石の扁額がなければ、どこのトンネルか言い当てるのは難しい。

写真は国道201号が新トンネルに振り返られた翌日に撮影した。前日まではたくさんの自動車がひねもす夜もすがら通行したろうに、トンネル内の照明も落ちて漆黒の穴をぽかんと開けていた。道路は一直線だが、トンネル中ほどで下り勾配になるから、出口は見えない。

車で通過するときは意識しないが、坑門は建物でいえば4~5階建て相当の高さがあるのだから、間近で見上げるとコンクリートの塊ということもあって相当の威圧感がある。無い無い尽くしの坑門は、40年の風雨を肌に刻み込むとそれなりに風格を備えて慕わしい。内部は香春坑口付近に一箇所だけ用途不明の横穴(写真下)がある。

画像

新仲哀隧道は旧道の仲哀隧道のように廃坑になるのではなく、老朽化対策を施して予備のトンネルにするそうだ。わずか40年で老朽化対策とは短命な気がするが、この頃に建設した道路トンネルは1964年発行の土木学会トンネル標準示方書に準拠し、劣化が進んで危険な状態にあるそうだ。

新トンネルが開通する以前は、トンネル内での事故発生時に長距離の迂回を余儀なくされたが、今後そのような状況では急きょ国道がこのトンネルに戻ってくる。なお、新仲哀隧道は平時は封鎖されて通行できない。田川市の後期過疎地域自立促進計画に「新仲哀トンネルの4車線化を含む香春―勝山間の早期完成」という要望があるから、将来国道が4車線化した折にこのトンネルが復活して、行橋方面の車道を通すのだろう。

新仲哀トンネル

新仲哀トンネル動画

[動画] 新仲哀トンネル (1500kbps、18.4MB)

注意 電話接続の場合、ダウンロードに1時間必要です。また、古いパソコン(ウインドウズME以前)は処理能力が低いため、動画をなめらかに再生できません。

新仲哀トンネルは仲哀改良なる延長2.2キロの道路改築事業によって建設された。場所は新仲哀隧道の南側で、間隔は4車線道路を片側通行のトンネル2本で通す場合と同じ。将来の4車線化を考えての設計とみえる。

トンネルの名称が新旧ともに「新仲哀」なのは、旧トンネルを復活させることが念頭にあるからだろう。この項目では「新仲哀隧道」「新仲哀トンネル」と書き分けるが、「隧道」「トンネル」は普通名詞であり、旧トンネルは「新仲哀トンネル」と呼び習わした。関門国道トンネルを扁額どおり「関門隧道」と呼ばないのと同じだ。

画像

坑門はみやこ町側が竹割型と呼ばれる見目秀麗な形式を取る。竹割型は坑口の周りをのり面として処理するのが特徴だ。面壁が必要ないのは地山の勾配が緩い山裾にあるため、擁壁をつくって地山を押さえなくても山崩れする恐れがないからだ。ただ、道路を地山へ切り込まないため、トンネルの延長が長くなって全体工費が高くなる。新仲哀トンネルは新仲哀隧道より145mも長い。

みやこ坑口ののり面は緑化棚工で仕上げた。まだ新しくてコンクリートが目立つが、半年もすれば雑草が生い茂って草地の斜面になる。トンネル両脇は正方形ののり枠工。枠内には土が入っており、すでに雑草が生い茂る。専門家は「坑門に目をひくようなもの、目移りするようなものを置くべきでない」(トンネルのお話)というが、個人的には草薮にするのは見苦しいと思う。

画像

香春側の坑門は地山からの位置が旧トンネルと横一線。坑門は旧トンネルと同じく面壁型になる。崖にあるわけではないから、砂防ダムのように土砂を堰き止める重力式ではなく、トンネル本体に鉄筋コンクリート構造で直結したウイング式だろう。上の写真で左ののり面の向こうにある街灯は、旧トンネルの坑門の前にある。

わたしは新トンネルの香春坑門を見て震撼した。土木が個性を競う時代に無個性・無愛想・無装飾をここまで徹底した坑門は見たことがない。この坑門はコンクリート剥き出しなだけではない。扁額すら掲げていない。大きいから道路トンネルに見えるが、小さければ下水道管の切り口と変わらないのではないか。

画像 引用

内部の見所は非常駐車帯だろう。わたしがこのトンネルを開通するや否や訪れたのは、非常駐車帯に関心を持ったからだ。歩道を削って駐車帯を設けるのなら、「安全で安心な歩道付の新トンネル」の謳い文句が泣く。実際は写真を見れば一目瞭然。非常駐車帯はトンネルのほぼ中央に一箇所だけあり、この部分はトンネル断面が一回り大きくなっている。

新仲哀トンネルの交通量は少なくない。1日2万2000台は毎分15台が通る計算で、事故が起きればたちまち渋滞する。渋滞してトンネル中央の片側にしかない非常駐車帯にたどり着けるのか。トンネル内部の非常駐車帯はないよりはあったほうが断然よいが、やや拍子抜けした。トンネル内部をゆっくり観察したい暇人には絶好の停車場所になる。

この非常駐車帯に相対して非常時通路の入口があった。消火設備と非常電話(写真の赤い設備)は一定間隔に設置する。

画像

新しいトンネルはコンクリート打ち放しの美を堪能できる。ここは路面もセメント・コンクリート舗装だから、とても清潔な印象を受けた。ずっとこんな状態なら歩行者や自転車も通行が楽しいが、壁面がこんなに白いのは開通から数ヶ月に限られる。半年もすれば路面は白いままでも壁面は排気ガスで真っ黒に煤けて、歩行者や自転車は非常な重圧感からトンネルに入ることが憂鬱になろう。

2007年3月6日撮影、2007年3月10日作成

資料

参照記事(外部サイト)
新仲哀トンネル開通 (PDF) - 北九州国道事務所
道路トンネル坑門工 - トンネルのお話(インターネット・アーカイブ)
(旧)仲哀隧道 - 九州建設弘済会
関連項目(ガゾーン内)
飯塚庄内田川バイパス - 八木山バイパスと田川バイパスを連結。暫定2車線。
県道64号 味見峠 - 旧勝山町と香春町を隔てる峠。トンネルが貫く。
特集 新門司道路 - 港湾事業。太刀浦CTと新門司埠頭を結ぶ。

ご意見等

公開 私信  

The Old and New Sin Tyûai (Chuai) Tunnels, Route 201