2011年1月8日更新
JR下関駅は、下関市竹崎町にあるJR山陽線とJR山陰線の旅客駅。形式は島式乗り場3面6線の高架駅。本州の西の終着駅であり、下関市の主要駅と位置づけられる。乗車人員(降客含まず)は1万1809人/日(2004)。出入口として東口、西口、北口があり、東口駅前が表玄関を形成する。
東口駅前は大規模な空中地盤で覆われ、2核1モール式の商業施設 シーモール下関、巨大結婚式場 グランプラス セント・バレンタイン、全国5位の地銀グループ 山口フィナンシャルグループ本社などが取り巻く。西口の駅前は下関漁港に面し、漁業関係の事務所などが集まる。
下関駅は1901年に山陽鉄道の馬関駅として開業した。下関駅と名称を変えたのは翌年だ。初代駅舎は現在地ではなく、西細江にあった。幡生から下る鉄道は竹崎町で東に曲がり、海峡メッセ下関あたりで行き止まった。鉄道駅は関門連絡船の船着場と向かい合う構成だった。鉄道駅と船着場が対になった例は、対岸の門司港駅で往時の様子が偲べる。
下関ではそののち彦島と下関を隔てる小門海峡の入口を埋め立てて下関商港(大和町、東大和町)を築港した。1942年に一本目が開通した関門鉄道トンネルへの鉄道はこの埋立地を縦断する線引きだったため、この年に駅を新線上の現在地へ移した。時あたかも第二次世界大戦の真っ最中だった。
鉄筋コンクリート四階建ての予定が戦時中のため木造二階建てに変更されました。もちろん交通の要衝にあたる駅なので仮駅舎として建てられたそうですが、なぜか戦後もずっとこの駅舎で営業を続けていました。(駅舎物語)
2003年11月にJR西日本広島支社管内で初めて自動改札化し、自動改札化の進んだ北九州方面への乗客の利便を図った。しかし喜びもつかの間、運転系統は2005年10月をもって下関で完全に分断された。下関を経由して関門鉄道トンネルに入る普通電車はない。反対に北九州からの普通電車はすべて下関が終点になる。
宇部、山陽小野田、下関、北九州の4市と山口県は、関門シティ電車構想を推進している。山口宇部空港から折尾まで直通電車を走らせようという構想だ。関門都市圏の一体化の醸成に役立つ事業だからぜひ実現させたいが、現実はJR西日本とJR九州のいがみ合いから正反対の方向へ進み、残念でならない。
戦争遺産の仮駅舎は2006年1月の放火によって焼け落ちたが、この駅舎は数年後には撤去する予定だった。新駅舎に関しては2004年末より下関市、山口銀行、JR西日本の三者が市民の意見を聞きながら改築計画づくりを進めている。
下関市が2005年末に公表した第一次の素案が上で引用した画像。駅自体は高架駅とし、シーモールの大丸前に開発ビルを建設する。開発ビルの西側には駐車場を設ける。歩行者の動線は人工地盤へ上げ、東西口の回遊性を強化する。併せて東西広場を整備しなおす。
注目の開発ビルは、案1が海をイメージしたもの。案2が歴史(旧下関駅舎・旧英国領事館)をイメージしたもの。案3が海と歴史双方のイメージを合わせたもの。シーモールと一体となって賑わいを共有し、相乗効果が期待できる空間にしたいそうだ。
開発ビルの実際は、まだ先のことで分からない。しかし施設配置に関してはこれで決まりだろう。下関市は腰を据えて改築に取り組む方針で、戦争遺産の仮駅舎が焼失したからといって計画を前倒しにはしない。当面はふたたび仮駅舎を仮設してやり過ごす。新駅舎の開業は2013年度になりそうだ。
2006年9月27日作成
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JR Simonoseki (Shimonoseki) Railway Terminal