2008年04月17日更新
門司区の関門海峡沿いは日本近代化の黎明期に成立した工業地帯である。企救山系の山裾がそのまま海峡に落ちるため土地の狭隘さがはなはだしいが、どの工場も等しく港と鉄道に挟まれて物流には都合がよかった。洞海湾や響灘と異なったのは、目の前が日本でも有数の海上交通量を誇る狭い水道で、海を埋め立てられなかったことだろう。これがその後の命運を分けた。門司は大産業時代に対応できなかったのである。
かくして黎明期の工場は世代交代することなく朽ち果て、工業地帯は廃墟と化した。日本セメント門司事業所もその一つである。
門司事業所は1893年に浅野セメントとして操業を始めた。風師山の山裾が関門海峡に落ちる場所にあり、山の斜面から海岸にかけて生産設備が濃密に建て込む。敷地の中程をJR鹿児島線が縦断し、国道199号の反対側には港がある。筑豊の石灰鉱山から貨物列車でセメントの材料を運び、製品化したのちは西海岸の専用岸壁から移出したようだ。
門司港の都心に近いことから最盛期は煤煙や降下粉塵が市民を悩ませたという。1947年に日本セメントと改称、すでに時代遅れになりながらも戦後復興と高度成長期を下支えし、1980年に閉鎖された。なお、日本セメントは1998年に秩父小野田と合併して太平洋セメントになった。
2004年3月に筑豊の山元工場が相次いで内陸立地のコスト高を理由に閉鎖になったが、ベルトコンベアで鉱山に直結していない臨海工場では、やはり操業効率は高くない。いまとなってはこんな場所にセメント工場があったこと自体が不思議である。
門司事業所の正門は、風師山の山腹、国道199号から国道3号へ上る区画道路沿いにある。正門前も廃墟だが、建物が残っているうちはまだいい。門司は1990年代から猛烈な速度で古い構造物が撤去され、跡地は利用されないまま草地に変わりつつある。特に小森江から門司港にかけての風師山麓は猫の額ほどの平地すら存在しないせいもあり、土地を再利用しようという動きすらない。
セメント事業者の建造物は全般的に質感が悪いが、門司事業所は成立が古いのが幸いして本体は鉄筋コンクリートである。そののち上下左右にトタンを継ぎ足して異様な造形を見せる。あと10年早ければ本体は煉瓦に、戦後までずれ込めば全部トタンだったろう。
セメントは早い時期から熾烈な価格競争に巻き込まれた業種だから、生産設備も安上がりに造る必要があった。もっとも手を抜かれたのが外装材で、新しい設備になればなるほどあさましくなる。セメント工場は造形的におもしろいだけに残念でならない。偉大な産業遺産になりえたのに、質感が悪いばかりに手におえない廃棄物と受け取られる。
この工場は現在どういう扱いを受けているのかがよく分からない。調べてみると1990年にコンクリート壁や第3号サイロ頂部などの外構が補修を受けている。閉鎖されて24年が経つが、廃工場というには小奇麗すぎる。まったく手が入らなかったのなら、蔓草が生産設備を覆いつくす程度では済まない。
日本の自然の復元力は驚嘆に値する。恒見にある廃工場は構内に雑草が群生するだけでなく低木まで生い茂って、もはや踏み入ることすらできない。
1928年竣工の煉瓦張りRC造り事務所。これは廃屋だが、実は門司事業所は現在も工場の一角に事務所を設ける。窓の中を窺うと事務所というよりは物置か倉庫のようだったが、なんにせよこの工場がまだ利用されていることに違いはない。
国道199号沿いの積載場(サービスステーション)。日が暮れると無人の櫓に明かりが点り、剥げた外壁から光が漏れ、機械の鈍いうなり声が聞こえる。生産活動があるとは思わない。ただ、廃墟の一角に光が点るさまは印象的で、存在するものの無言の意志を感ずる。
この工場以前に生を受けた人間はみな滅んだ。門司事業所はわれわれの生命のスパンを超えて存在し、全機能が停止して四半世紀が過ぎたいまも息を潜めてる。
撮影 2004年7月26日 | 初稿 2004年8月16日
旧日本セメント門司工場は、国道199号を挟んで海側の建物は全て撤去されています。特集の写真にある、199沿いの明かりのある建物は、現在活動はしておらず、電気は消えています。建物は残っていますが。(2006年5月1日、けーばら)
旧日本セメント門司工場はすでに全ての建物の解体が決まっているようで、国道199号線を挟んで海側の建物を解体したのはその第一段階のようです。建物の老朽化がすすみ、非常に危険な状態になっているのだとか。
そこでまず海側の建物から国道199号線の上を通っていたベルトコンベアまでを取り壊すことから始めたようです。海側は北九州市から借地して建てており、先に解体して借地契約を解消する理由もあったようです。なお、工場の間にJR鹿児島本線が通っており、また国道3号線側との地盤の落差が大きく、また3号線から工場地までが非常に激しい傾斜地になっているほか、工場そのものの地盤も端と端で落差があるため、今解体工事計画を練っている段階で、3~4年をかけて全て解体するようです。(2006年11月23日、投稿)
解体が決まったとの事ですが、かつて社内で固定資産税をまぬかれる為に「屋根を抜いて廃屋認定を受けよう!」という構想があったほど社内的には「うっちゃらかし」の状態にあった門司事業所で、本当かな、なんて思ってしまいます。(2007年8月31日、投稿)
昨日、小倉の妻の里帰りについて行き、確認しましたが・・・4、5人の解体作業員が見えましたが3号線沿いの壁から見える範囲も含めて、1年前と何等変わっていませんでした。隣の日通の倉庫で分断されてましたが、鹿児島本線からの支線(枕木、線路)、機関車倉庫もあり、これは3号線沿いの地域住民用の駐車場から確認できます。野良犬は作業中には、工場内のどこかに隠れており、夜間は中を、さ迷っているそうです。(2008年1月7日、投稿)
2007年10月から、工場の定点撮影(毎月一回20箇所)をしておりますが、特に大きく解体された場所はないようです。 工場周辺の住民に話を聞きましたら、すでに今年度から解体に着手するという話が出回っております。(2008年4月17日、けーばら)
Nippon Cement Mozi Plant